第157回教父研究会のご案内

第157回教父研究会は、2016年9月24日(土)14時から18時まで、東京大学駒場キャンパスにおいて開かれます。

第157回例会は、APECSS アジア環太平洋初期キリスト教学会研究集会の報告会を開催いたします。

9月9日から10日まで、サンクトペテルブルク(ロシア)の SUAI (Russia State University for Aerospace Instrumentation) にて、第10回 APECSS アジア環太平洋初期キリスト教学会研究集会が開催されます。メインテーマは、 Survival of Early Christian Traditions であり、本研究会会員も多数参加する予定です。9月例会ではそこでの発表のいくつかや全体の様子を報告し、国際的な教父学研究の現状や今後の進め方などについて共通討議ができればと存じます。ふるってご参加ください。

今回の APECSS 研究集会専用のウェブサイトにおいて、プログラムと発表者のアブストラクトが掲載されておりますので、ご参考になさってください。

第156回教父研究会のご案内

第156回教父研究会は、2016年6月25日(土)14時から18時まで、東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム3において開かれます。
 今回の研究会においては、2名の発表と総会を予定しています。例年とはプログラムが変化しているので、ご注意ください。

  • 全体プログラム
    • 14:00-15:00 研究発表 1
    • 15:00-15:30 総会
    • 15:30-18:00 研究発表 2
  1. 福田淑子(早稲田大学)「「無原罪の宿り」の視覚化」
    • メッセージ:
       「無原罪の宿り」には、教理をめぐるフランシスコ会とドミニコ会の「議論」というコンテクストのもと、図像が神学との補完関係を保ちながら教義としての発展に寄与していった歴史がある。
       そもそも人々は自然に「マリアは罪をもたなかった」と信じていたのであり、神学や胎生学に基づく議論はその信心の形成に影響を与えるものではなかった。しかし、マリア崇敬の広がりとともに神の母であるマリアが原罪をもったか否かが問われると、聖書に記述が認められない「無原罪の宿り」には根拠としての神学が大きく関わってくる。そのため伝統的に「無原罪の宿り」の視覚化は困難とされ、主題そのものを図解した図像(以下、「無原罪の宿り」図像)が制作されるまでは他主題を援用しながら表現されていた。その「無原罪の宿り」図像が初めて制作されたのは15世紀後半であり、両修道会の議論が激しく展開された時期にあたる。
       本発表では以上の事情を考慮し、なぜ「無原罪の宿り」を視覚化する必要があったのか、「無原罪の宿り」図像は何を目的として制作されたのかを考察の柱として論じる。その際、これまであまり論じられる機会のなかった「無原罪の宿り」が「月を踏み12の星の冠を頂くマリア像」に画一化される以前の「無原罪の宿り」図像をとりあげ、図像解釈における諸問題を指摘しながら教義史における図像と神学の関係、及び図像が担った機能について確認したい。
  2. 樋笠勝士(岡山県立大学)「教父哲学における「美」の問題(仮)」

第155回教父研究会のご案内

第155回教父研究会は、2016年3月19日(土)14時から18時まで、東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム1において開かれます。

  • 藤原理沙(東京大学)「アウグスティヌスの墓前祭に対する態度」
    • メッセージ:
       アウグスティヌス (354-430) の墓前祭に対する態度を本発表では考察する。キリスト教が入る以前の古代ローマにおいて、墓前祭は祖先の墓に供え物を捧げる機会であるとともに、家族や親しい者たちと墓地で飲食を行う機会でもあった。キリスト教がローマに入って以降、洗礼を受けていわゆる「キリスト教徒」となったローマ市民たちは以前の生活習慣を大きく変えずに、この習慣を維持し続けた。キリスト教特有の殉教者祭儀はそもそもこのような死者祭儀から発したものだと考えられている。しかし、次第に教会は墓前祭での飲食行為について、異議を唱え出す。顕著な例として、アウグスティヌスが挙げられる。
       本発表ではアウグスティヌスがこのような異議を唱えた意図を明らかにするために、まず古代ローマでの墓前祭における飲食行為の意義を分析する。続いて、アウグスティヌスがそのような意義をどう評価し、その上でなぜ、またどのような場合の飲食行為に対して異議を唱えていたのかを読み解いていきたい。古代ローマでの墓前祭における飲食行為の意義の分析にはウェルギリウス (BC 70-19)、オウィディウス (BC 40-AD 17)、キケロ (BC 106-43) の著作を主に用いる。アウグスティヌスの意図の考察については、『告白』、『神の国』、『死者たちへの配慮』及び書簡、説教などを用いる。
  • 水落健治 (明治学院大学・東京女子大学)「アウグスティヌスの聖書解釈—『詩編講解』(69-75編)を中心に」
    • メッセージ:
       キリスト教思想家としてのアウグスティヌスが、自らの思想を構築してゆくに際して「聖書解釈」を中心に据えていたことは改めて述べるまでもないであろう。彼の著作の内には、『創世記についてマニ教徒を駁す』(388)、『未完の創世記逐語解』(393)、『ローマ人への手紙講解』(395)、『ガラテア人の手紙講解』(395)、『山上の垂訓について』(393)、『福音書の一致』(400)、『創世記逐語解』(401-414)、『詩編講解』(391-418)、『ヨハネ福音書講解』(417)、『ヨハネの手紙講解』(417)といった多くの注解書があるし、それらの内、「創世記」の三つの注解、および『詩編講解』はそれぞれ25年の長きにわたって執筆されている。また彼の聖書解釈の方法論については『キリスト教の教え』(397; 427)においてその詳細が展開されている。
       これまでアウグスティヌスの聖書解釈については、彼が「アンブロシウスの比喩的・霊的聖書解釈(aenigmate…spiritaliter)を聴いてマニ教の誤謬から解放された」という記述(『告白』5.14.24)等を典拠として「アウグスティヌスの聖書解釈は比喩的解釈である」と理解されることが多かった。だが上記の注解書の個々のテキストを詳細に検討してゆくと事態はそれほど単純ではないことが分かる。彼の聖書解釈は、アレクサンドリアのフィロンの比喩的聖書解釈などとは異なり、むしろ「字義的」であり「文献学的」であるとすら思われるのである。
       今回の発表では、教文館版「アウグスティヌス著作集」の『詩編注解(3)』の内、発表者が翻訳を担当した箇所(69-75編)を中心に、アウグスティヌスの聖書解釈の方法を詩編のテキストに即して考察してみたい。その際特に問題となるのが、(1)詩編が旧約の歴史とは関わりの薄い「諸書」に属するということ、および(2)『詩編講解』が読まれることを前提に書かれた註解書ではなく、具体的な聴衆を念頭に置いて語られた「講解説教」であるという点である(cf.『キリスト教の教え』第4巻の「伝達論」)。

第154回教父研究会のご案内

第154回教父研究会は、2015年12月19日(土)14時から18時まで、東京大学駒場キャンパス18号館4階オープンスペースにおいて開かれます。

  • 阿部善彦(立教大学)「エックハルトの「子であること」理解について―「父」「一」の観点から―」
    • メッセージ:
       本発表では、エックハルトにおける「子であること」の理解について、その基本的な特徴を、「父」「一」の観点から、聖書的、教父的思想源流との関係を確認しつつ、論じることにしたい。実際、エックハルトは「父」に「一」が帰せられることについてしばしば言及している。

      「一は、すでにしばしば語られたように、父に帰せられる:unum, ut iam saepe dictum est, appropriatur patri」(In Io, n. 549)。
      「聖人たちは、一なし神的なものにおける一性を、第一の基体ないしペルソナ、すなわち父に帰している:sancti unum sive unitatem in divinis attribuunt primo supposito sive personae, patri scilicet」(In Io. n. 562)。

      「父」を中心にしたエックハルトの思想展開は、父子聖霊の三位一体論に全面的に依拠するものであるとともに、父子聖霊について語られる聖書に全面的に依拠するものであり、必ず、説教にせよ注解にせよ論考にせよ、聖書解釈として、何らかの聖句の解釈とともに語られる。したがって、三位一体論、聖書解釈という観点を抜きにして、エックハルトの思想は、正確に理解できない。
       本発表では、以上の問題理解に基づいて、まず、エックハルトの父理解が特徴的に表れている聖書註解個所として、『ヨハネ福音書註解』からいくつかテキスト箇所を取り上げて考察を進める。そのうえで「子であること」についてさらに考察を進め、最後に、「ドイツ語著作」におけるいくつかの特徴的表現を取り上げ、思想連関を確認したい。

  • 出村和彦(岡山大学)「アウグスティヌスにおける「貧困」、「病」そして「老齢」」
    • メッセージ:
       アウグスティヌス (354-430) は、「貧困」にどのように関わっていただろうか。提題者はこのテーマを、日豪の二国間共同研究や科研費基盤研究で追求してきた。アウグスティヌスに特徴的な関わりは、可視化されてきたとされる「貧困」という事態に対して、その現状 status quo を変えるものではなく、むしろ、レトリカルな表現のうちに、人間としての精神的な再構成を求めるものであった(注1)。そこでは貧者も富者もともに、よく生きる人としての「徳」が問われるのである(注2)。しかるに、生きていく人の現状として、常に忍び寄り寄り添うものに病と老いがあった。生涯にわたってアウグスティヌスの身に帯びたこの二つの現状は彼と切っても切れないものである。本発表では、『告白』での若き日の病とその回復の記述や、ポシディウス『アウグスティヌスの生涯』の最晩年の記述、および P・ブラウンの『アウグスティヌス伝』で取り上げるアウグスティヌスの老年観や「世界の老齢化」というテーゼなどを検討しながら、晩年まで至るアウグスティヌスの一貫した人生のとらえ方を考察したい。

      注1 出村和彦・上村直樹、『転換期における「貧困」に関するアウグスティヌスの洞察と実践の研究』科研費報告書、2012年、本冊79頁+別冊85頁
      注2 Kazuhiko Demura, ‘Shaping the Poor: The Philosophical Anthropology of Augustine in the Context of the Era of Crisis’, in G.D. Dunn and W. Mayer (eds.), Christians Shaping Identity form the Roman Empire to Byzantium, Leiden, 2015: 248-265.

第153回教父研究会会場変更

明日 9月26日(土)に開かれる第153回教父研究会について、会場が、「東京大学駒場キャンパス18号館1階メディアラボ2」から、「東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム1」へと変更されました。

建物の入口が施錠されていて入れない場合は、入口右手の電話より部屋番号にお電話ください。

新プラトン主義協会大会のお知らせ

この度、本会会員の土橋茂樹氏より新プラトン主義協会大会の告知をいただきましたので、お知らせいたします。

新プラトン主義協会は、9月19-20日の二日間、中央大学多摩キャンパスにて大会を開催します。本大会では教父研究会理事 宮本久雄氏の講演や、「存在」をめぐるシンポジウムも予定されています。

詳細については、大会プログラムをご参照ください。

第153回教父研究会のご案内

第153回教父研究会は、2015年9月26日(土)14時から18時まで、東京大学駒場キャンパス18号館1階メディアラボ2において開かれます。

  • 徳田安津樹(東京大学)「神を「測量」する―クザーヌスの「知ある無知」と古代の数学的神学―(仮)」
    • メッセージ:ニコラウス・クザーヌス (1401-64) は枢機卿や司教として教会・修道院改革に尽力し、法学・数学・自然学・写本蒐集など様々な場面で活躍しつつ、独特な哲学・神学思想を形成した人物として知られている。このような多面性のためにクザーヌスの複雑な思想的背景については長く議論されているが、近年の研究により、数学的・幾何学的思惟の背景が明らかにされつつある。本発表ではこれらの研究を引き受けて、『知ある無知について』(De docta ignorantia, 1440) を中心に、クザーヌスの前期思想における三位一体論・キリスト論と古代哲学者・教父の数学的議論の関係とその意義を明らかにすることを目的とする。

       『知ある無知』の体系は、「あらゆる探究は前提された確実なこととの比較によって比を媒 介としてなされる」という思考(本発表ではこれを「測量的認識論」と呼ぶ)に基づいて おり、そのため本著において真理たる神はまずもって「厳密な相等性」(aequalitas praecisa) とされる。この「相等性としての神」と新プラトン主義的な「一性としての神」の関係から三位一体論が展開されるが、クザーヌスはその三にして一なる神の把握を助けるために「古き人々の道」(vetrum via) として数学・幾何学を用いている。発表内ではこうした数学的議論がクザーヌスの神学的議論にとっていかなる役割を果たしているのかを示して行く。

  • 鳥居小百合(岐阜県立羽島北高等学校講師)「新神学者シメオンの光体験」
    • メッセージ:十世紀から十一世紀を生きた新神学者シメオン (949-1022) は、東方キリスト教会において神学者の称号を有する三人のうちの一人である。シメオンの思想は自身の大きな二度の光体験によって確立されており、その思想は当時の教会当局からは危ないものと捉えられていた。なぜならシメオンは教会のヒエラルキーではなく、優れたシメオンの霊的指導者であった師父シメオンの教えを重んじていたからであった。たとえば、師父シメオンの死後、一修道士であった彼のイコンをキリストや聖人たちと並べて飾り、毎日、師父シメオンのための祭儀を執り行うなど、師父シメオンをとても崇めていたのである。シメオンはこの霊的指導者であった師父シメオンを一度目の光体験において見ている。

       本発表ではシメオンの二度の光体験について語られている『教理講話』の第十六講話と第二十二講話を考察する。このシメオンの光体験を考察することによって、シメオンの人間性、そして彼の思想の全体像が理解できるからである。
      またシメオンの神化思想についても考察してみたい。シメオンの神化思想はこの世から始まっていると『倫理的論考』第十番ではっきり述べている。その箇所を読み解いていきたい。

2015年度教父研究会総会のご案内

2015年度教父研究会の総会についてのご案内をお知らせします。

  • 日時 6月27日(土)13時から14時
  • 場所 東京大学駒場キャンパス18号館1階メディアラボ2
  • 議題
    • 報告事項
      1. 2014年度決算報告と予算案について
      2. 会員総数・入退会者について
      3. パトリスティカ18号の発行について
      4. その他
    • 協議事項
      1. 2015年度例会予定その他今後の研究会の運営について
      2. その他
  • 教父研究会庶務幹事 坂田奈々絵

第152回教父研究会のご案内

第152回教父研究会は、2015年6月27日(土)14時から18時まで、東京大学駒場キャンパス18号館1階メディアラボ2において開かれます。会場が上智大学から変更しましたので、ご注意ください。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。

例会に先立って13時から14時まで同所で総会が開かれます。総会案内については追って連絡します。

  • 戸根裕士(同志社大学)「ミラノのアンブロシウス『信仰について(de fide)』をめぐる一考察—一・二巻の成立の政治的背景並びに神学的文脈」
    • メッセージ:ミラノのアンブロシウスは司教として古代ローマ帝国末期の政治に深く関わると同時に、西方教会の教会博士の一人にも数えられて、教会の伝統の中に確固たる地位を持っていた。けれども、アンブロシウスの思想というものには独自性が認定し難く、その背後に複雑な政治的要因並びに神学的配慮が存在していたことが近年の研究で少しずつ判明している。そこで本発表では主著の一つ『信仰について(de fide)』全五巻を取り上げ、政治的背景や神学的文脈を整理して、その上で一・二巻の独自性を解明する。そこでまず『信仰について』の概説を簡単に説明し、その内の一・二巻に対する従来の研究の関心の所在を整理する。従来の研究の関心は、一・二巻には批判の対象が明確に意識されているにも拘わらず、アンブロシウスがその対象の具体的な見解の説明を意図的に回避している理由に寄せられてきた。これに対して、筆者は一・二巻のキリスト論の構成の独自性に着目することで、人間イエス・キリストの誕生の説明の焦点が、聖書の不明確な記述の解明にあって、当時の論争で主流の哲学的用語にあまり依拠していない点を指摘する。この一・二巻の特徴は、社会問題に関する378年以前の著作との連続性を明示し、ニカイア派の通説の単なる踏襲に留まる三・四・五巻とは対照を為していた。本発表のこうした着目点を通して、社会情勢の変化に応じたアンブロシウスの神学の一貫性を提示したい。
  • 菅原裕文(金沢大学)「総主教ゲルマノスの遺産—可視化された典礼註解」
    • メッセージ:至聖所とはアプシスを含む主祭壇周辺の空間を指し、司祭のみが立ち入りを許される。中期ビザンティン(9-12世紀)には至聖所内に描かれる主題が十二大祭に限定されるのに対し、後期ビザンティン(13-15世紀)になると、中期には重要度が低く、描かれることが稀だった図像が至聖所に導入され、新しいキリスト伝図像が至聖所の図像プログラムに挿入されるようになる。本発表で議論するのは、副次的なキリスト伝図像が後期ビザンティンの至聖所を導入されたのはなぜか、複雑なプログラムはどのように解釈できるのかという問題である。  コンスタンティノポリス総主教ゲルマノス(715-730年)は当時まで主流だったアレクサンドリア学派の神秘的なアプローチにアンティオキア学派の歴史的アプローチを付加し、ビザンティン典礼を確立した。しかし、ゲルマノス以後、中期ビザンティン聖堂の至聖所では聖母子像や「受胎告知」が主流をなし、受難・死・復活に関する図像が至聖所に入り込む余地はなかった。  後期になると、至聖所にキリストの受難・死・復活に関する説話図像、つまり歴史性を帯びた図像が挿入され、キリストの祭司性を強調した図像も散見できるようになる。後期の至聖所に入り込んできたキリスト伝図像は典礼の歴史性とキリストの祭司性を図解するアンティオキア的要素と解される。ここにゲルマノスの遺産は視覚的にも結実し、目で見るテオリア、ヒストリアとして完成したのである。

欧文『パトリスティカ』刊行

欧文『パトリスティカ』第4号 Patristica, Supplementary vol. 4, ed. N. Kamimura (2014) が刊行されました。

  • 広く教父学・教父哲学関係の国際的な研究交流の基盤となるべく、定期刊行を目指して編集される学術雑誌です。
  • 匿名ピアレビューを課していますが、投稿自体は、当該研究領域のすべての研究者に門戸を開放しています。購入ご希望の際は、欧文号編集委員の上村直樹 (kmmrnk[atmark]gmail.com) までご連絡ください。
  • つぎの『パトリスティカ』第5号について、2016年の刊行を予定しています(今後は2年に1号のペースとなります)。論文の投稿を希望する方は、2015年11月1日までに編集委員の上村直樹まで、論文タイトル(仮題でもかまいません)をお知らせください。投稿のしめきりについて、現在のところ 2016年3月31日を予定しています。