第164回教父研究会のご案内

第164回教父研究会は、2018年6月16日(土)14時30分から18時まで、東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム1において開かれます。また、14時から14時30分までは、教父研究会2018年度総会も開催されます。

  1. 小沢隆之(慶應義塾大学)「アウグスティヌスにおけるquaerereとinuenire—『三位一体論』に定位して」
    • メッセージ:アウグスティヌス(以下、A.)の思索を貫き続けた数多の主題の一つとして、「自己知」をあげることができよう。このテーマは『三位一体論』の後半巻、特に10巻において「精神の自己知」というかたちで集中的に論じられている。
       精神の自己知を論じる際に、A.は次のような論理をしばしば語る。「精神は自らに現前するがゆえに、自らを知っている」(10,3,5; 14,4,7)。ここで問いが生じる。なぜ現前と知が結びつけられるのか。また、その現前とは何であるのか。
       この現前と知のありかたについての解釈の手がかりを、Emanuel Bermon(Le cogito dans la pensée de saint Augustin)は与えてくれるように思われる。彼の説によれば、精神が知る場合に、自らとそれ以外の対象とでは、知られかたにおいて異なっている。すなわち、後者はinuenire(見いだし)という働きを必要とするのにたいして、前者は必要としない。
       しかしながら、Bermon説には問題点がある。その一つは、この説の典拠となるテキストへの解釈が不十分な点である。そのため、inuenireという働きをどのようにとらえればよいのかも不分明となってしまっている。本発表では、Bermonの説をA.のテキストによって裏づけ、さらに修正したい。
       具体的にいえば、次のことが確認される。inuenireにはquaerere(探求する)という働きが不可欠であること、そしてquaerereからinuenireへの移行が「何かを知るようになる」という事態を示していること、自己知においてはそのような移行が生じないことが現前という言葉によってあらわされていることが確認される。以上をふまえたうえで、A.における自己知と現前の関係に光を投げかけることが目標となる。
  2. 渡邉蘭子(京都大学)「アウグスティヌスにおける愛の秩序の問題-性・結婚・身体をめぐって」
    • メッセージ:これまでアウグスティヌスは、ヘレニズム文化の影響によって、身体性や欲望を過剰に否定しているとみなされており、それが後代の西洋文化に悪影響を及ぼしたとされている。しかし近年の研究(David G. Hunter, Margaret R. Miles, Peter Brownなど)によって、アウグスティヌスの結婚や性に関する思想を単純に「悪魔視」できないことがわかってきている。
       本発表ではそうした研究状況を踏まえて、アウグスティヌスが結婚や性をキリスト教的な愛の秩序という観点から肯定している点を明らかにする。その際、これまで詳細に分析されてこなかった『結婚の善』、『聖なる処女性について』、『寡婦の善について』、『結婚と情欲』などの著作を取り上げて論じる。また、新たに発見されたディヴジャック書簡およびドルボー説教も資料として扱う。
       そこで新しい観点として浮かび上がってくるのは以下の点である。第一に、アウグスティヌスは、情欲の問題から、結婚を第二義的な善としてしか肯定できていないと考えられてきたが、さらに重要な点として、従順さ、謙遜さといった主体の意志の問題を挙げている。そこから、結婚が独身と同様に肯定されるとともに、神の前におけるキリスト者の平準化が志向される。第二に、情欲および身体を正しく用いることによって結婚が肯定される。そこでは必然的に、アウグスティヌスにおける愛の秩序の思想、すなわち、神の愛と隣人への愛という二つの愛の秩序の問題が関連して語られる。こうした考察を通して、アウグスティヌスが、性、欲望、身体を単に否定的にみていたのではなく、そのあり方に焦点を当てることによってそれらを肯定的に捉えていたことが明らかになると思われる。