第155回教父研究会のご案内

第155回教父研究会は、2016年3月19日(土)14時から18時まで、東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム1において開かれます。

  • 藤原理沙(東京大学)「アウグスティヌスの墓前祭に対する態度」
    • メッセージ:
       アウグスティヌス (354-430) の墓前祭に対する態度を本発表では考察する。キリスト教が入る以前の古代ローマにおいて、墓前祭は祖先の墓に供え物を捧げる機会であるとともに、家族や親しい者たちと墓地で飲食を行う機会でもあった。キリスト教がローマに入って以降、洗礼を受けていわゆる「キリスト教徒」となったローマ市民たちは以前の生活習慣を大きく変えずに、この習慣を維持し続けた。キリスト教特有の殉教者祭儀はそもそもこのような死者祭儀から発したものだと考えられている。しかし、次第に教会は墓前祭での飲食行為について、異議を唱え出す。顕著な例として、アウグスティヌスが挙げられる。
       本発表ではアウグスティヌスがこのような異議を唱えた意図を明らかにするために、まず古代ローマでの墓前祭における飲食行為の意義を分析する。続いて、アウグスティヌスがそのような意義をどう評価し、その上でなぜ、またどのような場合の飲食行為に対して異議を唱えていたのかを読み解いていきたい。古代ローマでの墓前祭における飲食行為の意義の分析にはウェルギリウス (BC 70-19)、オウィディウス (BC 40-AD 17)、キケロ (BC 106-43) の著作を主に用いる。アウグスティヌスの意図の考察については、『告白』、『神の国』、『死者たちへの配慮』及び書簡、説教などを用いる。
  • 水落健治 (明治学院大学・東京女子大学)「アウグスティヌスの聖書解釈—『詩編講解』(69-75編)を中心に」
    • メッセージ:
       キリスト教思想家としてのアウグスティヌスが、自らの思想を構築してゆくに際して「聖書解釈」を中心に据えていたことは改めて述べるまでもないであろう。彼の著作の内には、『創世記についてマニ教徒を駁す』(388)、『未完の創世記逐語解』(393)、『ローマ人への手紙講解』(395)、『ガラテア人の手紙講解』(395)、『山上の垂訓について』(393)、『福音書の一致』(400)、『創世記逐語解』(401-414)、『詩編講解』(391-418)、『ヨハネ福音書講解』(417)、『ヨハネの手紙講解』(417)といった多くの注解書があるし、それらの内、「創世記」の三つの注解、および『詩編講解』はそれぞれ25年の長きにわたって執筆されている。また彼の聖書解釈の方法論については『キリスト教の教え』(397; 427)においてその詳細が展開されている。
       これまでアウグスティヌスの聖書解釈については、彼が「アンブロシウスの比喩的・霊的聖書解釈(aenigmate…spiritaliter)を聴いてマニ教の誤謬から解放された」という記述(『告白』5.14.24)等を典拠として「アウグスティヌスの聖書解釈は比喩的解釈である」と理解されることが多かった。だが上記の注解書の個々のテキストを詳細に検討してゆくと事態はそれほど単純ではないことが分かる。彼の聖書解釈は、アレクサンドリアのフィロンの比喩的聖書解釈などとは異なり、むしろ「字義的」であり「文献学的」であるとすら思われるのである。
       今回の発表では、教文館版「アウグスティヌス著作集」の『詩編注解(3)』の内、発表者が翻訳を担当した箇所(69-75編)を中心に、アウグスティヌスの聖書解釈の方法を詩編のテキストに即して考察してみたい。その際特に問題となるのが、(1)詩編が旧約の歴史とは関わりの薄い「諸書」に属するということ、および(2)『詩編講解』が読まれることを前提に書かれた註解書ではなく、具体的な聴衆を念頭に置いて語られた「講解説教」であるという点である(cf.『キリスト教の教え』第4巻の「伝達論」)。

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