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第177回教父研究会例会のご案内

第177回教父研究会は 2022年6月25日(土)オンライン(Zoom)にて開催される予定です。また、例会の前には総会も開催されます。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。

日時:2022年6月25日(土)14:00-14:30 総会 ── 14:30-17:00 例会

会場:ミーティング URL はメール・手紙にて会員の皆様にお知らせしています。届いていない場合は、お手数ですが事務局までお問い合わせください。

参加にあたっては、次の三点を守ってください。
1. 表示名を「氏名」にしてください。
2. 司会者・発表者以外は音声を「ミュート」にしてください。質疑応答の際に司会者に指名されたときのみ「オン」にしてください。
3. 質問するときは「手を挙げる」機能を用い司会者に指名されるのをお待ちください。

非会員の参加も可能となっております。関心のありそうなお知り合いがいらっしゃる場合は、「非会員専用参加受付フォーム https://forms.gle/5RgJ3P8jTqEv8XAfA」をご案内ください。

懇親会は実施しませんが、例会後もしばらく Zoom ミーティングを開いたままにいたしますので、自由にご歓談ください。

発表題目:”ex opere opetato” と “res et sacramentum” ── 秘跡論の課題とトマス・アクィナス ──

発表者:桑原直己

要旨:
 アウグスティヌスがドナトゥス派と格闘した成果は、秘跡の有効性は執行者の善悪にはよらないとする、いわゆる事効性 ex opere opetato の原理として、その後のカトリック教会の基本方針となっていった。しかし、事効性の原理に対する硬直した固着は、しばしばカトリック教会とプロテスタント教会との対立点ともなっている。
 トマス・アクィナスの秘跡論は、(1)「単なる秘跡sacramentum tantum」、(2)「実在にして秘跡なるものres et sacramentum」、(3)「純粋に実在であり秘跡ではないものres tantum et non sacramentum」という「秘跡の三重構造」の理論を踏まえて展開している。
 (1)は秘跡における「目に見える外的な儀礼」であり、(3)は「霊魂の奥深いところで起る恩恵の内的な働きかけ」である。秘跡の本質をめぐるプロテスタント神学とカトリック神学との対立をもたらしている「事効性の原理に対する硬直した態度」とは、この(1)と(3)との両者を分離して捉えようとする傾向、さらに言えば(1)をそれ自体完結したものとして考える傾向であると考えられる。
 本発表では、トマスの秘跡論における(2)「実在にして秘跡なるもの」の意義に着目し、トマスの秘跡論がアウグスティヌスに代表される教父以来の伝統を踏まえつつ、現代秘跡神学が直面するエキュメニカルな課題についても示唆を与えるものであることを示したい。


この件に関するお問い合わせは下記教父研究会事務局にお願いいたします。

〒141-8642東京都品川区東五反田三丁目16-21
清泉女子大学文学部文化史学科
坂田奈々絵研究室
mail: secty.jsps [at] gmail.com

第176回教父研究会例会のご案内

第176回教父研究会は 2022年3月26日(土)オンライン(Zoom)にて3名の研究者によるシンポジウムとして開催される予定です。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。

日時:2022年3月26日(土)14:00 – 17:30

会場:ミーティング URL はメール・手紙にて会員の皆様にお知らせしています。届いていない場合は、お手数ですが事務局までお問い合わせください。

参加にあたっては、次の三点を守ってください。
1. 表示名を「氏名」にしてください。
2. 司会者・発表者以外は音声を「ミュート」にしてください。質疑応答の際に司会者に指名されたときのみ「オン」にしてください。
3. 質問するときは「手を挙げる」機能を用い司会者に指名されるのをお待ちください。

非会員の参加も可能となっております。関心のありそうなお知り合いがいらっしゃる場合は、「非会員専用参加受付フォーム https://forms.gle/XYm5pyMnfKLTLTD78」をご案内ください。

懇親会は実施しませんが、例会後もしばらく Zoom ミーティングを開いたままにいたしますので、自由にご歓談ください。

シンポジウム:
 アウグスティヌスの言語論──再考

趣旨説明:
 教父アウグスティヌスほど〈ことば〉を大切にした思想家は少ない。20歳の時に文法学の教師となり、その2年後に修辞学の教師となった彼は、聖書との出会いによって〈神のことば〉を伝達する教師となったが、その思索の中心には常に〈ことば〉の問題があった。
 本シンポジウムの提題者のひとり加藤武は『アウグスティヌスの言語論』(創文社、1991年)において彼の言語思想の深みを言語哲学的視点、および解釈学的視点から明らかにしたが、今回のシンポジウムはそこでの考察を承け、最新の研究動向を踏まえつつ、アウグスティヌスの言語思想をさらなる広がりと深みにおいて歴史的に明らかにすることを目指す。それぞれの提題は次の通りである。

 1. 水落健治、アウグスティヌスの言語思想の展開──『問答法について』から『キリスト教の教え』まで
 2. 小沢隆之、アウグスティヌスの uerbum cordis と聖書解釈──神のことばを人間の言葉によって語ろうとすること
 3. 加藤武、声とことばについて──『キリスト教の教え』1.13 における


この件に関するお問い合わせは下記教父研究会事務局にお願いいたします。

〒141-8642東京都品川区東五反田三丁目16-21
清泉女子大学文学部文化史学科
坂田奈々絵研究室
mail: secty.jsps [at] gmail.com

第175回教父研究会例会のご案内

第175回教父研究会は 2021年12月4日(土)オンライン(Zoom)にて開催される予定です。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。

日時:2021年12月4日(土)14:30 開始

会場:ミーティング URL はメール・手紙にて会員の皆様にお知らせしています。届いていない場合は、お手数ですが事務局までお問い合わせください。

参加にあたっては、次の三点を守ってください。
1. 表示名を「氏名」にしてください。
2. 司会者・発表者以外は音声を「ミュート」にしてください。質疑応答の際に司会者に指名されたときのみ「オン」にしてください。
3. 質問するときは「手を挙げる」機能を用い司会者に指名されるのをお待ちください。

今回は非会員の参加も可能となっております。関心のありそうなお知り合いがいらっしゃる場合は、「非会員専用参加受付フォーム https://forms.gle/LtWhdaCsWS9y9pV79」をご案内ください。

懇親会は実施しませんが、例会後もしばらくZoomミーティングを開いたままにいたしますので、自由にご歓談ください。

発表題目:スュランにおけるパウロ──近世神秘主義における身体の詩学の一断面

発表者:渡辺優(東京大学)

要旨:
 17世紀ボルドーのイエズス会士ジャン=ジョゼフ・スュランは、西欧近世に現れ、そして消えていった「神秘主義(la mystique)」という知の、最も鮮烈な体現者の一人であった。20世紀後半以降、とりわけミシェル・ド・セルトーによる研究を画期として、スュランはじめ近世神秘主義研究は大きく進展し、旧来の神秘主義理解を根本から刷新するとともに、現代におけるキリスト教霊性研究にも新たな地平を切り拓いてきた。
 こうしたなか、近年の研究において改めて重要な論点として浮上してきているのが「身体」である。身体は、セルトー未完の神秘主義論の枢要点でもあった──彼の来るべき神秘主義論は「身体の詩学」として構想されていた──が、その後の人文社会科学の展開とも相俟って、キリスト教霊性・神秘主義における身体の問題は、なお再発見されるべき領域として残されている。
 発表者は、西欧近世神秘主義を軸にキリスト教霊性の問題系を広く視野に収めつつ、そこにおいて身体が果たす代替不可能な役割を探りたいと考えている。極めて大きな課題であるが、本発表では、スュランにおけるパウロ解釈に焦点を置いて、ひとつの、だが内容豊かな断面を切り出すことをねらう。
 発表者はすでに、「スュランにおけるパウロ研究序説──『パウロの神秘論』の風を受けて」(『パトリスティカ』第25号掲載予定)において、「ルーダンの悪魔憑き」事件以後のスュランに認められる「ソーマ的変容」が、まさしく「はらわたにつきささったあなたのことばを身に帯び」(『告白』IX, 2, 3)つつ生きる、パウロ=アウグスティヌス的神秘論の系譜に位置付くことを明らかにした。本発表では、近世神秘主義へと至るこの系譜とその思想史的射程をより立体的に把握することを試みるとともに、パウロのことば、わけても聖霊を語ることばが、スュランのことばをいかに支え、触発し、それと共鳴しつつ息吹いているかを看取したい。


この件に関するお問い合わせは下記教父研究会事務局にお願いいたします。

〒141-8642東京都品川区東五反田三丁目16-21
清泉女子大学文学部文化史学科
坂田奈々絵研究室
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第174回教父研究会例会のご案内

第174回教父研究会は 2021年 9月 25日(土)オンライン(Zoom)にて開催される予定です。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。

日時:2021年 9月 25日(土)14:30 開始

会場:ミーティングURL, ID, パスコードをメール、あるいは手紙にて会員の皆様にお知らせしています。届いていない場合は、お手数ですが事務局までお問い合わせください。

参加にあたっては、次の三点を守ってください。
1. 表示名は「氏名」にしてください。
2. 司会者・発表者以外は、音声をミュートにしてください。質疑応答の際に司会者に指名されたときのみ、オンにしてください。
3. 質問するときは「手を挙げる」機能を用い、司会者に指名されるのをお待ちください。

今回は非会員の参加も可能となっております。関心のありそうなお知り合いがいらっしゃる場合は、こちらの「非会員専用参加受付フォーム」をお知らせしてください。

懇親会は実施しませんが、例会後もしばらくZoomミーティングを開いたままにいたしますので、自由にご歓談ください。

発表題目:アウグスティヌスにおける悪なる欲望の癒し―superbiaとhumilitasを軸に―

発表者:渡邉蘭子(大東文化大学)

要旨:
 アウグスティヌスは晩年に向かうほど悪なる欲望が現世で残り続けることを強調するようになった。洗礼を受けたとしても身体は来世において贖われるため、特に、歪んだ悪なる身体的欲望は現世に生きる限り残り続ける。この点はルターやカルヴァンなどの宗教改革者たちに引き継がれ、「罪の赦し」の強調や「宣義」としての義の主張へとつながった。他方で、アウグスティヌス自身は現実的な癒し、いわゆる「成義」についても語っている。しかし、悪なる身体的欲望の残存と癒しがどのような関係にあるのかについてはこれまで十分に論じられていない。
 この点を明らかにするための重要な軸は「高慢(superbia)」と「卑賎(humilitas)」という二つの対比的なあり方である。アウグスティヌスによれば、すべての罪の根源は神に背く「高慢」であり、悪なる身体的欲望も根本的にはそこから生じている。そうした「高慢」というあり方がキリストの受肉と十字架の死による「卑賎」によって癒されることにより、悪なる身体的欲望も癒されていく。本発表ではそうした点について『三位一体論』を中心に後期著作を分析する。
 こうした分析をとおして、アウグスティヌスが悪なる欲望の残存とその癒しを循環的に捉えていることを示したい。すなわち、悪なる欲望は現世では残り続けるが、そのことは、より根本的な罪である「高慢」を避け、「卑賎」になって神に向かうことができる契機となり、現実的な癒しにつながっている。これが「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」(2 Cor. 12: 9) の意味として考えられている事態である。

この件に関するお問い合わせは下記教父研究会事務局にお願いいたします。

〒141-8642東京都品川区東五反田三丁目16-21
清泉女子大学文学部文化史学科
坂田奈々絵研究室
mail: secty.jsps [at] gmail.com

第173回教父研究会例会のご案内

第173回教父研究会は 2021年 6月 19日(土)特別企画として、宮本久雄『パウロの神秘論―他者との相生の地平をひらく』(第33回和辻哲郎文化賞・学術部門)の合評会を開催することとなりました。また、例会の前には総会も開催されます。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。
 なお、今回もオンライン(Zoom)での実施となります。

日時:2021年 6月 19日(土)

プログラム
 13:30-14:00 総会
 14:00-14:30 著者講演「パウロから出発して」
 14:30-15:30 評者による提題
  田島照久「脱在とハヤ・オントロギアを破る神秘思想―義化と聖化の観点から」(仮)
  渡辺優「スュランにおけるパウロ―『パウロの神秘論』の風を受けて」
  黒住真「日本の哲学・神学から宮本久雄『パウロの神秘論』はどう見えるか」
 15:30-16:00 著者・評者によるディスカッション
 16:00-17:00 全体討論

会場:ミーティングURL, ID, パスコードをメール、あるいは手紙にて会員の皆様にお知らせしています。届いていない場合は、お手数ですが事務局までお問い合わせください。

参加にあたっては、次の三点を守ってください。
 1. 表示名は「氏名」にしてください。
 2. 司会者・発表者以外は、音声をミュートにしてください。質疑応答の際に司会者に指名されたときのみ、オンにしてください。
 3. 質問するときは「手を挙げる」機能を用い、司会者に指名されるのをお待ちください。

今回は非会員の参加も可能となっております。関心のありそうなお知り合いがいらっしゃる場合は、こちらの「非会員専用参加受付フォーム」をお知らせしてください。

懇親会は実施しませんが、例会後もしばらくZoomミーティングを開いたままにいたしますので、自由にご歓談ください。

なお、例会での企画テーマ案も、引き続き募集しております。専用フォーム(https://forms.gle/zcjnLi66WXqWhogaA)にて自由にご提案ください。


この件に関するお問い合わせは下記教父研究会事務局にお願いいたします。

〒153-8902 東京都目黒区駒場3-8-1
東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻・高橋英海
E-mail: secty.jsps[at]gmail.com

※事務局は、6月以降、下記住所に移転する予定です。

〒141-8642 東京都品川区東五反田3-16-21
清泉女子大学文学部文化史学科
坂田奈々絵

第172回教父研究会例会のご案内

第172回教父研究会は 2021年 3月 13日(土)オンライン(Zoom)にて開催される予定です。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。

日時:2021年3月13日(土)14:30 開始

会場:ミーティングURL, ID, パスコードをメール、あるいは手紙にて会員の皆様にお知らせしています。届いていない場合は、お手数ですが事務局までお問い合わせください。

参加にあたっては、次の三点を守ってください。
  1. 表示名は「氏名」にしてください。
  2. 司会者・発表者以外は、音声をミュートにしてください。質疑応答の際に司会者に指名されたときのみ、オンにしてください。
  3. 質問するときは「手を挙げる」機能を用い、司会者に指名されるのをお待ちください。

今回は非会員の参加も可能となっております。関心のありそうなお知り合いがいらっしゃる場合は、こちらの「非会員専用参加受付フォーム」をお知らせしてください。

懇親会は実施しませんが、例会後もしばらくZoomミーティングを開いたままにいたしますので、自由にご歓談ください。  


発表題目:アウグスティヌス『三位一体論』における認識と生の関係をめぐって——10, 5, 7

発表者:小沢隆之(慶応義塾大学)

要旨
 認識と生のあいだに、何らかの緊密な結びつきを見いだすことは現在においては難しいかもしれない。たとえば、認識論と倫理学が直接的に結び付けられることはないだろう。しかしながら、このような結びつきは古代にあっては一般的であったことは周知の通りであり、古代末期の思想家であるアウグスティヌスにおいても、そのような結びつきは見いだされる。本発表は『三位一体論』という著作に限定してそのような認識と生の関係のありかたを考察したい。
 『三位一体論』には、現代でも認識論的な関心から取り上げられることもある議論が含まれており、しかもその議論が人間の生き方とも関係づけられている。また『三位一体論』において、認識と生の問題が並行して論じられている箇所もある。しかしながら、アウグスティヌスは認識と生の関係を明示的に説明していないので、解釈の余地がある。そこで、本発表では、自己認識の議論が生と結び付けられている箇所(10巻5章7節)を題材として、アウグスティヌスにおいて認識と生に関する結びつきをわずかなりとも明らかにすることを目指す。
 10巻5章7節にはいくつかの解釈上の問題点がある。まず、語られている思考や生、秩序そして支配・被支配というトピックがどのようにして関係づけられているのか不明である。さらに、「内的な美というべきもの(quaedam intinsecus pulchra)」や、「〔精神は〕より大きいものと思いなしているところのより小さなものへと、動かされ、滑り落ちてゆく(moueturque et labitur in minus et minus quod putatur amplius et amplius)」といった表現が具体的にどのようなことを意味しているのかも不明である。これらの問題点は10巻では解決されていないので、類似する議論を含む12巻を考察することによって、解決のいとぐちを探ることになる。10巻・12巻の考察で得られるのは、支配・被支配関係と欲求に関するアウグスティヌス的な前提である。
 本発表は次の手順で進められる。まず10巻5章7節における解釈上の問題点を指摘する。そして、その問題点を主に12巻の議論を参照することによって、解消する。最後に、10巻5章7節を解釈し、そこでの議論に隠されているアウグスティヌス的な前提を明らかにする。それをもとにして本発表が解釈として提示しようと試みるのは、自己認識と善く生きるための規範との緊密な結びつきである。


この件に関するお問い合わせは下記教父研究会事務局にお願いいたします。

〒153-8902 東京都目黒区駒場3-8-1
東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻・高橋英海
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第171回教父研究会例会のご案内

第171回教父研究会は 2020年12月 5日(土)オンライン(Zoom)にて開催することとなりました。例会は、後世における教父の受容をテーマに3名のご発表を予定しております。また例会の前には総会も開催されます。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。

日時:2020年12月5日(土)
14:00-15:00   総会
15:00-18:30   発表・全体討論

ミーティングURL・ID・パスコードにつきましては、メール、あるいはお手紙にて会員の皆様にお知らせしております。万一届いていない場合は、お手数ですが事務局までお問い合わせください。

発表題目 1:神学者の言葉の伝統―ナジアンゾスのグレゴリオスとビザンツの教養

発表者:窪信一(東京大学)

メッセージ:
ホ・テオロゴス(神学者)の称号で呼ばれるナジアンゾスのグレゴリオスの東方における権威と重要性については特に説明の必要はないだろう。しかし彼にその死後において人々の尊敬を集める媒体となった彼が書き残したもの、彼のギリシア語については、その果たした役割と伝統の歴史が詳らかになっているようには思われない。その著作がいかに深くビザンツのギリシア語を使うキリスト教徒の読書生活に根付いていたかは、浩瀚な写本の伝承はもとより、幾人もの手による注解、さらには古典作家への注釈や修辞学の教材や辞典や単語帳の類に頻繁に表れる用例、そしてビザンツの知識人たちが自分たちの著述で時には名前を挙げて引用し、時には全く典拠を明示せず引喩する神学者の言葉が、示唆している。
グレゴリオスは、哲学と修辞学、異教の学問伝統の中心地であるアテナイに長期間の留学経験を持ち、その文業で教養あるキリスト教徒の在り方を体現し、後世のビザンツ人にとってその理想の模範であり続けた。そして異教徒(ヘレネス)とキリスト教徒の学知の関係が問題となる時に彼の言葉がどのように働いたか、本報告では14世紀の神学論争におけるそのいくつかの事例を通して、古典と教父、二つの層からなるビザンツの教養の在り方に迫っていきたい。

発表題目 2:「停思快(delectatio morosa)」について:夢想と創造をめぐって近代文学がキリスト教道徳神学から学びえたこと

発表者:森元庸介(東京大学)

メッセージ:
中世スコラ学が作りし出した概念のひとつに「停思快(delectatio morosa)」というものがあります。これは、してはならないとされる行為——容易に予想されるかもしれませんが、神学者たちが事例として好んで取り上げたのは不倫的な性行為です——について夢想することから得られる快のことを指したものですが、標準的な回答によれば、そうした夢想から得られる快の罪の程度は、その夢想が対象とする行為から得られる快の罪の程度と等しいとされました(たとえば、トマス『神学大全』第2部第1篇第74問)。
快、さらには夢想から得られる快を裁くということ自体、人類学的な見地からして少なからず興味深いことではありますが、夢想は、そのように裁きの対象として抑圧的に捉えられることをつうじて、逆説的にも独特かつ固有のリアリティを付与されたと考えることもできるように思われます。この点を考えるうえできわめて示唆的な人物として、二〇世紀フランス文学のうちでもきわめつきに奇妙な作家ピエール・クロソウスキーです。神学を学び、若い時期に修道生活を送っていたクロソウスキーは、上述した「停思快」を、かのマルキ・ド・サドの文学的営為を解釈するための鍵として用い、生涯の多くを監獄で過ごしたこの作家にとって、ただひとつ残された自由としての夢想が、創造と現実との奇妙な癒合を可能にしたと論じます。近世の道徳神学における議論の展開も視野に収めつつ、最終的にはこのクロソウスキーの主張を吟味することを目標とし、みなさまからのご意見を仰げれば幸いです。

発表題目 3:近世イングランド国教会における聖ヒエロニムスと主教制の問題

発表者:李東宣(東京大学)

メッセージ:
英国史領域では近年、宗教改革前後の信仰や学問の在り方の連続性が強調されており、それに伴って、これまでローマ・カトリック教会と繋げられてきた教父を宗教改革後のイングランド国教会がどのように受容したかという主題も注目を集めている。本稿では、初期教父の一人、聖ヒエロニムスの手による『テトスへの手紙註釈』と『エヴァグリウスへの手紙』を近世イングランド国教会聖職者がどのように解釈したのかを明らかにする。当該著作は、主教制(=司教制[episcopacy])の存在を否定する初期教父の証言として知られており、カルヴァンなど初期宗教改革者はこれをローマ・カトリックの司教制を攻撃する強力な根拠として用いた。イングランドはプロテスタント国家になったものの、主教制をそのまま維持し、イングランドの長老派は引き続きこれらを用いてイングランド国教会の主教制を批判した。その批判に応える過程で、3つの異なる種類のヒエロニムス解釈が生まれた。
本報告は、これら相異なるヒエロニムス解釈の記述にとどまるのではなく、その解釈の仕方自体が、国教会聖職者の主教制擁護の程度を示す有効な尺度であると提示する。先行研究では、1580年代以降、主教制擁護が単線的に進展・深化するとされているが、膨大な近世の著作からそのような発展史観に当てはまる箇所を恣意的に抜粋しているに過ぎない。対して、本報告は、ヒエロニムス解釈を参照点にすることで、各論者における主教制擁護をより正当に比較できると主張する。

 

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東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻・高橋英海
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延期:第171回教父研究会例会のご案内

直前のご連絡となり大変恐縮ですが、3月28日に予定していた第171回教父研究会例会について、延期することにいたしました。
今後の予定については、再度調整のうえ改めてご案内をいたします。

====================
第171回教父研究会は、2020年 3月28日(土)14時から18時まで、東京大学駒場キャンパス10号館3階301号室において開かれます。通例の会場と異なりますのでご注意ください。

発表題目 1:神学者の言葉の伝統―ナジアンゾスのグレゴリオスとビザンツの教養

発表者:発表者:窪信一(東京大学)

メッセージ:
ホ・テオロゴス(神学者)の称号で呼ばれるナジアンゾスのグレゴリオスの東方における権威と重要性については特に説明の必要はないだろう。しかし彼にその死後において人々の尊敬を集める媒体となった彼が書き残したもの、彼のギリシア語については、その果たした役割と伝統の歴史が詳らかになっているようには思われない。その著作がいかに深くビザンツのギリシア語を使うキリスト教徒の読書生活に根付いていたかは、浩瀚な写本の伝承はもとより、幾人もの手による注解、さらには古典作家への注釈や修辞学の教材や辞典や単語帳の類に頻繁に表れる用例、そしてビザンツの知識人たちが自分たちの著述で時には名前を挙げて引用し、時には全く典拠を明示せず引喩する神学者の言葉が、示唆している。

グレゴリオスは、哲学と修辞学、異教の学問伝統の中心地であるアテナイに長期間の留学経験を持ち、その文業で教養あるキリスト教徒の在り方を体現し、後世のビザンツ人にとってその理想の模範であり続けた。そして異教徒(ヘレネス)とキリスト教徒の学知の関係が問題となる時に彼の言葉がどのように働いたか、本報告では14世紀の神学論争におけるそのいくつかの事例を通して、古典と教父、二つの層からなるビザンツの教養の在り方に迫っていきたい

発表題目 2:停思快(delectatio morosa)について 現実と想像の関係について近現代の思想が教父文学に学んだこと

発表者:森元庸介(東京大学)
(発表要旨は追ってお送りします。)

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〒153-8902 東京都目黒区駒場3-8-1
東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻・高橋英海
E-mail: takahashi[at]ask.c.u-tokyo.ac.jp

JSPS Special Lecture

JSPS Special Lecture will be given by Professor Susanna Elm (Sidney H. Ehrman Professor of European History, Department of History, College of Letters & Science, University of California, Berkeley) at Komaba Campus, The University of Tokyo, on 3 March 2020.

  • Presenter: Prof. Susanna Elm (University of California, Berkeley)
  • Title: “Books, Bodies, Histories: Augustine of Hippo on the Extraordinary (City of God XVI.8)”
  • Abstract:
    In Book 16 of the City of God Augustine of Hippo discusses human bodies described by what he calls “too curious histories” as monstrous; such bodies, he tells us, are also depicted in mosaics on the grand esplanade in Carthage. Augustine here refers to Pliny the Elder’s Natural History, where Pliny talks about pygmies, persons with feet so big that they can be used as sun shades, or persons who have only one eye in the center of their foreheads. Augustine additionally sprinkles mentions of extraordinary bodies throughout the City of God, not as described in histories but as present phenomena. Why is Augustine so interested in these bodies and why does he discuss them in greater detail in Book 16? What might that tell us about Augustine’s concepts of histories and the role of extraordinary bodies?
  • Date & Time: 14:00-17:30, 3 March 2020
  • Place: Komaba Campus, The University of Tokyo

Patristica Call for Papers

Japanese Society for Patristic Society had announced the publication schedule of the Journal Patristica in 2019 January.

This is the Call for Papers of the next volume 7 of Patristica to be published in December 2020.

To be considered for your publication in Patristica 7, manuscripts should be submitted to me (kmmrnk[at]gmail.com) by 31 May 2020.

For the details of CfP, please see the PDF file.

Best,
Naoki Kamimura
Editor-in-Chief, Journal Patristica