第152回教父研究会は、2015年6月27日(土)14時から18時まで、東京大学駒場キャンパス18号館1階メディアラボ2において開かれます。会場が上智大学から変更しましたので、ご注意ください。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。
例会に先立って13時から14時まで同所で総会が開かれます。総会案内については追って連絡します。
- 戸根裕士(同志社大学)「ミラノのアンブロシウス『信仰について(de fide)』をめぐる一考察—一・二巻の成立の政治的背景並びに神学的文脈」
- メッセージ:ミラノのアンブロシウスは司教として古代ローマ帝国末期の政治に深く関わると同時に、西方教会の教会博士の一人にも数えられて、教会の伝統の中に確固たる地位を持っていた。けれども、アンブロシウスの思想というものには独自性が認定し難く、その背後に複雑な政治的要因並びに神学的配慮が存在していたことが近年の研究で少しずつ判明している。そこで本発表では主著の一つ『信仰について(de fide)』全五巻を取り上げ、政治的背景や神学的文脈を整理して、その上で一・二巻の独自性を解明する。そこでまず『信仰について』の概説を簡単に説明し、その内の一・二巻に対する従来の研究の関心の所在を整理する。従来の研究の関心は、一・二巻には批判の対象が明確に意識されているにも拘わらず、アンブロシウスがその対象の具体的な見解の説明を意図的に回避している理由に寄せられてきた。これに対して、筆者は一・二巻のキリスト論の構成の独自性に着目することで、人間イエス・キリストの誕生の説明の焦点が、聖書の不明確な記述の解明にあって、当時の論争で主流の哲学的用語にあまり依拠していない点を指摘する。この一・二巻の特徴は、社会問題に関する378年以前の著作との連続性を明示し、ニカイア派の通説の単なる踏襲に留まる三・四・五巻とは対照を為していた。本発表のこうした着目点を通して、社会情勢の変化に応じたアンブロシウスの神学の一貫性を提示したい。
- 菅原裕文(金沢大学)「総主教ゲルマノスの遺産—可視化された典礼註解」
- メッセージ:至聖所とはアプシスを含む主祭壇周辺の空間を指し、司祭のみが立ち入りを許される。中期ビザンティン(9-12世紀)には至聖所内に描かれる主題が十二大祭に限定されるのに対し、後期ビザンティン(13-15世紀)になると、中期には重要度が低く、描かれることが稀だった図像が至聖所に導入され、新しいキリスト伝図像が至聖所の図像プログラムに挿入されるようになる。本発表で議論するのは、副次的なキリスト伝図像が後期ビザンティンの至聖所を導入されたのはなぜか、複雑なプログラムはどのように解釈できるのかという問題である。 コンスタンティノポリス総主教ゲルマノス(715-730年)は当時まで主流だったアレクサンドリア学派の神秘的なアプローチにアンティオキア学派の歴史的アプローチを付加し、ビザンティン典礼を確立した。しかし、ゲルマノス以後、中期ビザンティン聖堂の至聖所では聖母子像や「受胎告知」が主流をなし、受難・死・復活に関する図像が至聖所に入り込む余地はなかった。 後期になると、至聖所にキリストの受難・死・復活に関する説話図像、つまり歴史性を帯びた図像が挿入され、キリストの祭司性を強調した図像も散見できるようになる。後期の至聖所に入り込んできたキリスト伝図像は典礼の歴史性とキリストの祭司性を図解するアンティオキア的要素と解される。ここにゲルマノスの遺産は視覚的にも結実し、目で見るテオリア、ヒストリアとして完成したのである。