第158回教父研究会のご案内

第158回教父研究会は、2016年12月17日(土)14時から18時まで、東京大学駒場キャンパス18号館1階メディアラボ2において開かれます。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。

  • 提題
    谷隆一郎「神化の道行きと、その内的根拠をめぐって−「キリストの十字架と復活」の働きを愛智=哲学として問い披く−」

    • メッセージ:
       周知のごとくパウロは、「キリストとの霊的出会い」を次のような鮮裂な言葉で語っている。「もはやわたしが生きているのではなく、わたしのうちでキリストが生きている」(ガラテア2,20)と。これは、「わたし・自己」の閉ざされた境域(自我の砦)がいわば「身心脱落」(道元)のように突破され、受肉したロゴス・キリストの働きないし霊(プネウマ)が人間的自然・本性を場とし器として宿り来った姿であろう。ただしかし、そのパウロの言は証聖者マクシモスによれば、自由(自己決定力)の放棄ではなく、意志的(グノーメー的)聴従を意味するものであった(『難問集』1076B)。
       そうした姿は、およそわれわれの「キリストとの出会い」と「神化(神的生命への与り)の道行き」との中心的場面を示している。そこにはむろん、多様にして一なる同根源的問題が隠されているのだ。今回の提題では、それらの存在論的ダイナミズムとも言うべき基本的動向を注視しつつ、とりわけ「キリストとの出会いの経験」=「使徒たちにおける生の根底的変容」と、そこに現前する「神的かつ神人的エネルゲイア」に思いを潜めてゆく。
       そしてそうした探究にあって、「キリストの受肉・十字架・復活」の全体としての働き(エネルゲイア・プネウマ)は、われわれが「善く意志し、善く為すこと」の可能根拠として、またいわば「意志論の最前線」にあるものとして、その生成・顕現の機微がわれわれ自身のうちに何ほどか問い披かれてゆくことになろう。
  • 特定質問者
    • 袴田玲(日本学術振興会)
      • メッセージ:
         言うまでもなく証聖者マクシモスは最大の思想家の一人として東西両キリスト教世界で現在に至るまで尊敬を集める人物であるが、彼が示した宇宙論的拡がりをもつ神化概念や、その身体への肯定的なまなざしは、まさに自らの内でキリストと出会うことを願うヘシュカストたちにとりわけ大きな影響を及ぼした。ヘシュカスムの伝統に即して編まれたと言われる『フィロカリア』においても、収録されている全三十余名の著述家の中で最大の頁数が割り振られており、ヘシュカスムの歴史における証聖者マクシモスの重要性を伺い知ることができる。以上を踏まえ、今回の谷隆一郎先生のご発表に際し、証聖者マクシモスの後代への影響という観点から、いくつかご質問させていただければと願っている。
    • 山本芳久(東京大学)
      • メッセージ:
         証聖者マクシモス『難問集』に関して、マクロとミクロの二つの観点から問題提起を行います。マクロな観点としては、『難問集』という著作の全体的な特徴・全体構造について問題提起を行います。ミクロな観点としては、マクスモス神学に関して、二つの論点に焦点を当てながら問題提起をしたいと思います。一つ目の論点は、神的なものが「動かされかつ動かす」という神の受動性を示唆するディオニシウス・アレオパギタの言葉をマクシモスがどのように受容し解釈しているのかを、トマス・アクィナスの解釈と対比しながら浮き彫りにすることです。二つ目の論点としては、キリストの「神人的はたらき」についてのディオニシウスの言葉についてのマクシモスとトマスの解釈の異同を明らかにしたいと思います。こうした仕方で、キリスト教神学の伝統におけるマクシモスの立ち位置を浮き彫りにしつつ、議論のための叩き台を提示します。
    • 田島照久(早稲田大学)
      • メッセージ:
         谷先生のご高論が扱われた『難問集』「七 人間と進化―自然・本性の存在論的ダイナミズム」で述べられている次の点に関して、ご教授をいただきたいと思います。
         マキシモスは、「わたしのうちでキリストが生きている」というパウロの言葉が意志的聴従を語っているとし、直前に「もはやわたしの意志するようにではなく、あなたの意志するようになしたまえ」(マタ26・39)を引いて、「キリストが父への聴従を我々の模範として示している」と語っているが、「意志的聴従」とは「子となること」(filiatio)と理解できるのかどうか。そうであれば、その直後の言葉「それによってわれわれは・・・似像が原型へと回復するように現に動かされることを欲する」とはどういう事態を語るものなのか。さらに「神的働きと人間的自由・意志」の循環性に関して、「神化という事態の原範型としてのキリスト」の「神人的エネルゲイア」の観点からこの循環性がどのように説明しうるのかということについてさらにご説明いただければ幸です。

例会後に開催される、谷隆一郎訳『証聖者マクシモス『難問集』東方教父の伝統の精華』(知泉書館、2015)および土橋茂樹編著『『フィロカリア』論考集 善美なる神への愛の諸相』(教友社、2016)の出版記念会の参加も受けつけております。出欠のご連絡は、袴田玲 (aaaahkmd[at]hotmail.com) までよろしくお願いいたします。