第132回教父研究会のご案内

第132回教父研究会は、2010年6月26日(土)13時~17時、聖心女子大学1号館4階大会議室において開かれます。例会は若手研究者発表会として、三名の方々にご発表いただきます。また、総会も行いますので、ご参加のほどよろしくお願いいたします。なお、通常の例会とは、プログラム構成が異なりますので、くれぐれもお間違いのないよう、お願い申し上げます。みなさまのご参加をお待ち申しあげております。 共通テーマ:愛による認識 海老原晴香(上智大学大学院)「背面からの聴従と神の暗黒―ニュッサのグレゴリオスによる著作読解からの考察―」 メッセージ:人間はいかにして、そしていかように絶対者・神を知るのだろうか。4世紀を生きたギリシア教父ニュッサのグレゴリオスによれば、神に対する知への道は、まず神から愛の呼びかけが降り注がれ、人間理性が「神の暗黒」を通り抜けることによって、人間に無限にひらかれてくる。本発表では、グレゴリオス最晩年の著作から抜粋して原典読解し、理性による把握を超えた神へ人間がいかにして近づいていけるのか、彼の語りに耳を傾けたい。 泉雄生(上智大学大学院)「アウグスティヌスの謙遜に基づく神認識について―『ヨハネによる福音書講解説教』第2説教に見る高慢と謙遜の対立―」 メッセージ:本発表では、アウグスティヌスの『ヨハネによる福音書講解説教』第2説教の分析を通して、謙遜 (humilitas) に基づく神認識について考察してみたい。アウグスティヌスは、キリスト者の神認識が謙遜に基づくと主張している。キリスト者固有の神認識とは、キリストの愛とへりくだりに基づくのである。 阿部善彦(上智大学大学院)「ハインリッヒ・ゾイゼの『自伝』における愛と記憶」 メッセージ:ハインリッヒ・ゾイゼ (Heinrich Seuse, 1295頃-1366年) は、マイスター・エックハルト (Meister Eckhart, 1260頃-1327年)、ヨハネス・タウラー (Johannes Tauler, 1290-1361年) とともに、「ドイツ神秘思想」(Deutsche Mystik) の重要な思想家の一人である。本発表では、主著の一つ『ゾイゼの生涯』(Vita)を通じて、彼と関わった人々との愛と記憶の問題を考えたい。

第132回教父研究会のご案内

第131回教父研究会は、2010年3月27日(土)14時~17時、聖心女子大学1号館4階大会議室において開かれます。みなさまのご参加をお待ち申しあげております。 中村秀樹「サン・ヴィクトール学派の神学をめぐって」 メッセージ:今回の提題では、近年ようやく全体像の解明が進んできたサン・ヴィクトール学派の神学思想の特徴について、学派の中心的思想家であるフーゴーとリカルドゥスの原典を用いて考えてみたい。この学派は、聖書の読解と教父の伝統に徹底して基づきつつ、広範な教義学的論考から観想論を核心とする神学的人間論に至る一つの総合的神学思想を示している。人間の全体性とその愛における完成を一貫して問題とする彼らの姿勢は、現代においてキリスト教的思惟から学んでゆこうとする私たちにとっても、多くの示唆を含むものなのである。

130th JSPS seminar

130th JSPS seminar will be held on 12 December 2009 2 pm to 5 pm at the Main Meeting Room, 4th fl. Bild. 1, University of the Sacred Heart. Kazuhiko Demura (Okayama University), ‘The Significance of St. Paul in the 390’s Augustine: towards the Understanding of his Confessions’ Framework.’

第130回教父研究会

第130回教父研究会は、2009年12月12日(土)14時~17時、聖心女子大学1号館4階大会議室において開かれます。みなさまのご参加をお待ち申しあげております。 出村和彦「390年代のアウグスティヌスにとってのパウロ─『告白録』の骨格理解に寄せて─」 メッセージ:アウグスティヌス (354-430) は司祭 (391) となり司教 (395/6) となった時期に、パウロ書簡、とりわけ『ガラテア書』『ローマ書』の注釈を何度も試みている。この時期はまた自ら修道的生活を営む(『修道規則』参照)とともに『詩篇注解』1-32 や『主の山上の言葉説教』など、聖書解釈研究に着手した時期でもある。本発表では、このような390年代のアウグスティヌスの生のコンテキストにおけるパウロが果たした役割から、その直後に執筆された『告白録』(397-401) の構成の骨格を理解する筋道について、P・ブラウンの言うアウグスティヌスの「変化」の捉え方(「失われた将来」『アウグスティヌス伝』上参照)を再考察する議論も踏まえて論じたい。

129th JSPS seminar

129th JSPS seminar will be held on 19 September 2009 2 pm to 5 pm at the Main Meeting Room, 4th fl. Bild. 1, University of the Sacred Heart. Ryuichiro Tani (Kyushu University), ‘Divine Energeia: the Experience of the Pneuma and the Faith in Gregory of Nyssa and Maximus the Confessor.’

第129回教父研究会

第129回教父研究会は、2009年9月19日(土)14時~17時、聖心女子大学1号館4階大会議室において開かれます。みなさまのご参加をお待ち申しあげております。 谷隆一郎「神的エネルゲイア・プネウマの経験と信─ロゴス・キリストを信じるとはいかなることか─」 メッセージ:ロゴス・キリストの受肉ということを、「知る」のではなく「信じる」とは、いかなることなのか。キリスト教の基本としてふつう前提とされていることを、改めて、それが発語された原初的場面に遡って問い直し、ひいては、人間・自己の真の成立に関わる普遍的な問題位相をいささか浮彫にしたいと思う。(その際、主として依拠するのは、東方教父、とりわけニュッサのグレゴリオスと証聖者マクシモスの文脈である。) 例会終了後に、広尾近辺で懇親会を予定しております。

128th JSPS seminar

128th JSPS seminar will be held on 27 July 2009 0:30 pm to 5;45 pm at the Main Meeting Room, 4th fl. Bild. 1, University of the Sacred Heart. In the next seminar, four junior researchers will present their papers. Wataru Takahashi (Graduate School of the University of Tokyo), ‘Christology of Ps.-Dionysius.’ Rei Hakamada (Graduate School of the University of Tokyo), ‘Seeing the Light of God: Gregory Palamas’s Interpretation of Ps.-Dionysius.’ Megumi Kitagawa (Graduate School of Sophia University), ‘The Ascent of the Soul through the Music: Augustine’s De musica Book 6.’ Kurato Yokota (Graduate School of Kyoto University), ‘Reading Augustine backwards: Mutual Inherence of the Substance in his De trinitate.’

第128回教父研究会

第128回教父研究会は、2009年6月27日(土)12時30分~17時45分、聖心女子大学1号館4階大会議室において開かれます。例会は若手研究者発表会として、四名の方々にご発表いただきます。また、総会も行いますので、ご参加のほどよろしくお願いいたします(総会は12時30分から、総会終了後に研究発表となります。)。なお、通常の例会とは、開始時刻、プログラム構成、終了時刻のいずれも異なりますので、くれぐれもお間違いのないよう、お願い申し上げます。みなさまのご参加をお待ち申し上げております。 高橋渉(東京大学大学院)「擬ディオニュシオスのキリスト論」 メッセージ:本発表は擬ディオニュシオス・アレオパギテース(5世紀末頃から6世紀初頭)のキリスト論というべきものについて、一つの考察を試みるものである。本発表の狙いは、これまで、その思想的特徴によって、主に新プラトン主義的な側面から把握されてきた擬ディオニュシオスの思想を、キリスト教的な側面から捉えかえすことで、より立体的に理解しようとするところにある。 袴田玲(東京大学大学院)「神の光を見ることをめぐって─グレゴリオス・パラマスの擬ディオニュシオス解釈─」 メッセージ:神を見ることはできるのか。この問いをめぐるパラマスとバルラアムの対立は、14世紀ビザンツ帝国で巻き起こったヘーシュカスム論争において大きな位置を占めた。そして、相反する見解をもつ両者が自論の典拠としたのは、共に、(擬)ディオニュシオス・アレオパギテースその人であった。本発表では、彼らによる擬ディオニュシオス解釈の一端を提示することを通じて、神を見ることについて当時なされた思索の軌跡を追いたい。 北川恵(上智大学大学院)「音楽による魂の上昇について─『音楽論』第六巻─」 メッセージ:再考録第一巻十一章一節によれば、『音楽論』は、人間はいかにして被造物を通して可変的なものから不変的なものへと達し得るかという問題が論じられているという。『音楽論』において、この議論は、音楽における数 numeri を正しく認識することから始まり、歌詞の言葉の意味 sententia を正しく認識することへと段階的に推移していく。本発表では、このような音楽による魂の段階的上昇とはいかなるものであるのかを、第六巻で三度引用されるアンブロシウスの讃美歌の引用のされ方と議論の背景を手がかりに考察してみたい。 横田蔵人(京都大学大学院)「アウグスティヌスを逆から読む─『三位一体論』における実体の相互内在について─」 メッセージ:アウグスティヌスの『三位一体論』が描いた、人間の魂に「神の像」を見るという構想は、盛期スコラの神学者の心の理解においてあたかも公理のように扱われた。だが、彼らのアウグスティヌス像はどこかが「変」なのだ。本発表は、西方神学の解釈枠組を定めたペトルス・ロンバルドゥスの『三位一体論』理解を手がかりに、アウグスティヌスを逆から読むことで、スコラ哲学の魂論の特徴と問題点を考えたい。