第135回教父研究会のご案内

第135回教父研究会は、2011年3月19日(土)13時~17時、聖心女子大学1号館4階大会議室において開かれます。皆様のご参加をお待ち申しあげております。 松村康平(上智大学大学院神学研究科)「オスティアの対話」 メッセージ:アウグスティヌス(354-430)は、387年の秋の日、港町オスティアにおいて母モニカとの対話の最中に、言語にし難い体験をしたという。それは『告白』第Ⅸ巻に記され、知られている。本発表では、このオスティアの対話を取り上げ、その対話がいかなる意味をもつのかという点へと焦点を当てたい。ミラノ体験(第Ⅶ巻)、そして庭の回心(第Ⅷ巻)を経て、辿り来た彼はこの対話においていかなる意味に触れたのだろうか。考察を深めたい。 村上寛(早稲田大学大学院)「愛の変容、或いは愛への変容──『単純な魂の鏡』における超越への開け」 メッセージ:1310年6月1日、パリで一人の女性がその異端思想を理由に処刑された。その女性とはエノー出身のポレートと呼ばれるマルグリット、通称マルグリット・ポレートであり、彼女のおそらく唯一の著作が『単純な魂の鏡』である。本発表では神秘的著作とされる『鏡』について、その重要な概念の一つである「愛の変容」或いは「愛への変容」を中心として考察し、その「神秘思想」について明らかにしていきたい。

第134回教父研究会のご案内

第134回教父研究会は、2010年12月11日(土)14時~17時、聖心女子大学1号館4階大会議室において開かれます。皆様のご参加をお待ち申しあげております。 髙橋英海「エヴァグリオス(偽ネイロス)『祈りについての一五三の断章』のシリア語・アラビア語による伝承について」 メッセージ:従来ギリシア語圏ではアンキュラのネイロス(430年頃没)の作品とされてきた『祈りについての一五三の断章』は、シリア語訳およびアラビア語訳ではエヴァグリオスの作品として流布しており、近代以降の研究によってエヴァグリオス(345頃─399年)の作品であることがほぼ確実となっている。今回の発表では、この『一五三の断章』全体について概観した上で、ギリシア語原典とシリア語訳およびアラビア語との比較を行い、その差異から何が読み取れるかについての考察を試みる。

欧文版『パトリスティカ』第3号刊行に関するお知らせ

教父研究会は、2011年に欧文版『パトリスティカ』第3号を刊行することに決定しました。これは、2001年にはじめての欧文号Patristica Supplementary Volume 1、ついで2006年に欧文版第2号を東京都立大学名誉教授加藤信朗氏への献呈論文集として刊行したのにつづく計画です。この企画に賛同し、投稿を希望されるかたからのお申し出をおまちしています。 投稿された論文については、編集委員または、編集委員会の委嘱するレフェリーが審査を担当します。 論文の使用言語は、英語、ドイツ語、フランス語のいずれかとします。 投稿のしめきりは、2011年6月1日とします。 論文の投稿を希望されるかたは、2010年12月31日までに編集委員の上村直樹 <kmmrnk[atmark]gmail.com> までご連絡ください。なお、そのさい必ず論文のタイトル(仮題でもかまいません)をあわせてお知らせください。 この欧文号の詳細については、編集委員の土橋茂樹 <tsuchi[atmark]tamacc.chuo-u.ac.jp>、あるいは上村直樹までおたずねください。

133rd JSPS seminar

133rd JSPS seminar will be held on 25 September 2010 2 pm to 5 pm at the Main Meeting Room, 4th fl. Bild. 1, University of the Sacred Heart. Kiyoshi Yasui (Kanto Gakuin University), ‘The possibility of being saved through repentance: Interpretation of the chapter 7 of Athanasius’ The Incarnation of the Word of God.’

第133回教父研究会のご案内

第133回教父研究会は、2010年9月25日(土)14時~17時、聖心女子大学1号館4階大会議室において開かれます。皆様のご参加をお待ち申しあげております。 安井聖「なぜ悔い改めることによってでは救われないのか―アタナシオスの『言の受肉』第7章の解釈」 メッセージ:アタナシオスの最初期の著作『言の受肉』第7章では、堕落した人間が腐敗しない生へ立ち戻るために、悔い改めでは不十分であると述べられている。他方で同じく最初期の著作『異教徒駁論』では、堕落した人間の魂さえ神を観想する力を持つと述べられている。一見矛盾しているこの二つの発言には、アタナシオスの神理解の共通の特質が表れている。それを明らかにするために、本発表では特に『言の受肉』第7章の解釈に取り組みたい。

132nd JSPS seminar

132nd JSPS seminar will be held on 26 June 2010 1 pm to 5 pm at the Main Meeting Room, 4th fl. Bild. 1, University of the Sacred Heart. Seminar subject, ‘Recognition through Love.’ Haruka Ebihara (Graduate School of Sophia University) — Obedience from the Backside and the Darkness of God: Some Consideration of the Works of Gregory of Nyssa Takeo Izumi (Graduate School of Sophia University) — Recognition of God according to the humility in Augustine Yoshihiko Abe (Graduate School of Sophia University) — Love and Memory in the Leben Seuses of Henry Suso

第132回教父研究会のご案内

第132回教父研究会は、2010年6月26日(土)13時~17時、聖心女子大学1号館4階大会議室において開かれます。例会は若手研究者発表会として、三名の方々にご発表いただきます。また、総会も行いますので、ご参加のほどよろしくお願いいたします。なお、通常の例会とは、プログラム構成が異なりますので、くれぐれもお間違いのないよう、お願い申し上げます。みなさまのご参加をお待ち申しあげております。 共通テーマ:愛による認識 海老原晴香(上智大学大学院)「背面からの聴従と神の暗黒―ニュッサのグレゴリオスによる著作読解からの考察―」 メッセージ:人間はいかにして、そしていかように絶対者・神を知るのだろうか。4世紀を生きたギリシア教父ニュッサのグレゴリオスによれば、神に対する知への道は、まず神から愛の呼びかけが降り注がれ、人間理性が「神の暗黒」を通り抜けることによって、人間に無限にひらかれてくる。本発表では、グレゴリオス最晩年の著作から抜粋して原典読解し、理性による把握を超えた神へ人間がいかにして近づいていけるのか、彼の語りに耳を傾けたい。 泉雄生(上智大学大学院)「アウグスティヌスの謙遜に基づく神認識について―『ヨハネによる福音書講解説教』第2説教に見る高慢と謙遜の対立―」 メッセージ:本発表では、アウグスティヌスの『ヨハネによる福音書講解説教』第2説教の分析を通して、謙遜 (humilitas) に基づく神認識について考察してみたい。アウグスティヌスは、キリスト者の神認識が謙遜に基づくと主張している。キリスト者固有の神認識とは、キリストの愛とへりくだりに基づくのである。 阿部善彦(上智大学大学院)「ハインリッヒ・ゾイゼの『自伝』における愛と記憶」 メッセージ:ハインリッヒ・ゾイゼ (Heinrich Seuse, 1295頃-1366年) は、マイスター・エックハルト (Meister Eckhart, 1260頃-1327年)、ヨハネス・タウラー (Johannes Tauler, 1290-1361年) とともに、「ドイツ神秘思想」(Deutsche Mystik) の重要な思想家の一人である。本発表では、主著の一つ『ゾイゼの生涯』(Vita)を通じて、彼と関わった人々との愛と記憶の問題を考えたい。

第132回教父研究会のご案内

第131回教父研究会は、2010年3月27日(土)14時~17時、聖心女子大学1号館4階大会議室において開かれます。みなさまのご参加をお待ち申しあげております。 中村秀樹「サン・ヴィクトール学派の神学をめぐって」 メッセージ:今回の提題では、近年ようやく全体像の解明が進んできたサン・ヴィクトール学派の神学思想の特徴について、学派の中心的思想家であるフーゴーとリカルドゥスの原典を用いて考えてみたい。この学派は、聖書の読解と教父の伝統に徹底して基づきつつ、広範な教義学的論考から観想論を核心とする神学的人間論に至る一つの総合的神学思想を示している。人間の全体性とその愛における完成を一貫して問題とする彼らの姿勢は、現代においてキリスト教的思惟から学んでゆこうとする私たちにとっても、多くの示唆を含むものなのである。