第159回教父研究会は、2017年3月11日(土)14時から18時まで、東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1において、大貫隆訳『グノーシスと古代末期の精神』を中心としたシンポジウムとして開かれます。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。
- 提題
大貫隆「ハンス・ヨナス『グノーシスと古代末期の精神』によせて」- メッセージ:
I ヨナスを翻訳して最大の発見
・ 物語(本文)の内部での啓示者と人間の出会いは、本文と読者の出会いと並行している。物語論と解釈学の不可分一体。Jonas:「この啓示は神話の内容である物語そのものの中の一場面として出現する。」
・ 「知の存在論的不安」。Jonas:「最下位のアイオーンであるソフィアにおいては、プレーローマの頂点からの隔たりが最大であるのに応じて、緊張性と自立性も最大であり、限界の圧力も最大である。その限界が踏み越えられるとき、『認識』は知性の原理から、純粋に情念の原理へ、すなわち、盲目で自力に頼った羨望へと変容する。」
II 最大の疑問
・ なぜバシリデース派が取り上げられないのか。
・ 答え:ヨナスはグノーシス=流出論の等式で考えている。「グノーシス」概念が「流出論」に狭小化される。と同時に「流出論」が「グノーシス」と等値とされる点では、グノーシス概念が拡大される。概念の拡大と狭小化が同時に起きている。
III バシリデース派の例外性
Hippolytus「バシリデースは、事物の実体が生成してきたのは流出(プロボレー)によるという見方を完全に避けて、それを怖がっていたからである。」(VII 22, 2-3)
IV ただし、バシリデースの「大いなる無知」の待望も「知の存在論的不安」を証明する。
- メッセージ:
- 特定質問者
- 山本巍
- メッセージ:
大貫隆氏の発表へのコメント
1. 啓示の物語であるグノーシス文書を読む経験が、自分が啓示に照らされる現実になる、とする点で大貫氏とヨナスは一致する。テキストの内(啓示)と外(読者)の相互作用のような言語のメカニズムをもう少し説明して欲しい。知識による人間の救済を説くグノーシスで、その知識はどのような言語の働きで達成できるのか。言葉は実在を何らかの仕方で写す記号系(一が他・多を表現する)で、弱いという点で、ギリシアとユダヤには固有の「言葉への態度」があった(ソクラテスの問答・律法)。これとの対比は有効か。
2. ヨナスはグノーシス=流出説としたが、他方で多様なグノーシスを統一する視点としてハイデガーの実存論を導入した。この実存論と流出説はどのように結びついているか。
3. バシリデースは「光あれ」に見られる、言即事を実現する強い言語にコミットしているように思える。それが流出説を採らない理由の一つだろうか。
4. グノーシス・プロチノス管見:ポリスが崩壊し市民が漠然とした世界に放り出されて個人(孤人)になった古代末期に、グノーシスは知識による自己の救済を、プロチノスは知識による自己の完成を目指した。しかしそれは宗教・哲学の目的になるだろうか。
- メッセージ:
- 山本巍