第172回教父研究会は 2021年 3月 13日(土)オンライン(Zoom)にて開催される予定です。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。
日時:2021年3月13日(土)14:30 開始
会場:ミーティングURL, ID, パスコードをメール、あるいは手紙にて会員の皆様にお知らせしています。届いていない場合は、お手数ですが事務局までお問い合わせください。
参加にあたっては、次の三点を守ってください。
1. 表示名は「氏名」にしてください。
2. 司会者・発表者以外は、音声をミュートにしてください。質疑応答の際に司会者に指名されたときのみ、オンにしてください。
3. 質問するときは「手を挙げる」機能を用い、司会者に指名されるのをお待ちください。
今回は非会員の参加も可能となっております。関心のありそうなお知り合いがいらっしゃる場合は、こちらの「非会員専用参加受付フォーム」をお知らせしてください。
懇親会は実施しませんが、例会後もしばらくZoomミーティングを開いたままにいたしますので、自由にご歓談ください。
発表題目:アウグスティヌス『三位一体論』における認識と生の関係をめぐって——10, 5, 7
発表者:小沢隆之(慶応義塾大学)
要旨:
認識と生のあいだに、何らかの緊密な結びつきを見いだすことは現在においては難しいかもしれない。たとえば、認識論と倫理学が直接的に結び付けられることはないだろう。しかしながら、このような結びつきは古代にあっては一般的であったことは周知の通りであり、古代末期の思想家であるアウグスティヌスにおいても、そのような結びつきは見いだされる。本発表は『三位一体論』という著作に限定してそのような認識と生の関係のありかたを考察したい。
『三位一体論』には、現代でも認識論的な関心から取り上げられることもある議論が含まれており、しかもその議論が人間の生き方とも関係づけられている。また『三位一体論』において、認識と生の問題が並行して論じられている箇所もある。しかしながら、アウグスティヌスは認識と生の関係を明示的に説明していないので、解釈の余地がある。そこで、本発表では、自己認識の議論が生と結び付けられている箇所(10巻5章7節)を題材として、アウグスティヌスにおいて認識と生に関する結びつきをわずかなりとも明らかにすることを目指す。
10巻5章7節にはいくつかの解釈上の問題点がある。まず、語られている思考や生、秩序そして支配・被支配というトピックがどのようにして関係づけられているのか不明である。さらに、「内的な美というべきもの(quaedam intinsecus pulchra)」や、「〔精神は〕より大きいものと思いなしているところのより小さなものへと、動かされ、滑り落ちてゆく(moueturque et labitur in minus et minus quod putatur amplius et amplius)」といった表現が具体的にどのようなことを意味しているのかも不明である。これらの問題点は10巻では解決されていないので、類似する議論を含む12巻を考察することによって、解決のいとぐちを探ることになる。10巻・12巻の考察で得られるのは、支配・被支配関係と欲求に関するアウグスティヌス的な前提である。
本発表は次の手順で進められる。まず10巻5章7節における解釈上の問題点を指摘する。そして、その問題点を主に12巻の議論を参照することによって、解消する。最後に、10巻5章7節を解釈し、そこでの議論に隠されているアウグスティヌス的な前提を明らかにする。それをもとにして本発表が解釈として提示しようと試みるのは、自己認識と善く生きるための規範との緊密な結びつきである。
この件に関するお問い合わせは下記教父研究会事務局にお願いいたします。
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東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻・高橋英海
E-mail: secty.jsps[at]gmail.com