第171回教父研究会例会のご案内

第171回教父研究会は 2020年12月 5日(土)オンライン(Zoom)にて開催することとなりました。例会は、後世における教父の受容をテーマに3名のご発表を予定しております。また例会の前には総会も開催されます。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。

日時:2020年12月5日(土)
14:00-15:00   総会
15:00-18:30   発表・全体討論

ミーティングURL・ID・パスコードにつきましては、メール、あるいはお手紙にて会員の皆様にお知らせしております。万一届いていない場合は、お手数ですが事務局までお問い合わせください。

発表題目 1:神学者の言葉の伝統―ナジアンゾスのグレゴリオスとビザンツの教養

発表者:窪信一(東京大学)

メッセージ:
ホ・テオロゴス(神学者)の称号で呼ばれるナジアンゾスのグレゴリオスの東方における権威と重要性については特に説明の必要はないだろう。しかし彼にその死後において人々の尊敬を集める媒体となった彼が書き残したもの、彼のギリシア語については、その果たした役割と伝統の歴史が詳らかになっているようには思われない。その著作がいかに深くビザンツのギリシア語を使うキリスト教徒の読書生活に根付いていたかは、浩瀚な写本の伝承はもとより、幾人もの手による注解、さらには古典作家への注釈や修辞学の教材や辞典や単語帳の類に頻繁に表れる用例、そしてビザンツの知識人たちが自分たちの著述で時には名前を挙げて引用し、時には全く典拠を明示せず引喩する神学者の言葉が、示唆している。
グレゴリオスは、哲学と修辞学、異教の学問伝統の中心地であるアテナイに長期間の留学経験を持ち、その文業で教養あるキリスト教徒の在り方を体現し、後世のビザンツ人にとってその理想の模範であり続けた。そして異教徒(ヘレネス)とキリスト教徒の学知の関係が問題となる時に彼の言葉がどのように働いたか、本報告では14世紀の神学論争におけるそのいくつかの事例を通して、古典と教父、二つの層からなるビザンツの教養の在り方に迫っていきたい。

発表題目 2:「停思快(delectatio morosa)」について:夢想と創造をめぐって近代文学がキリスト教道徳神学から学びえたこと

発表者:森元庸介(東京大学)

メッセージ:
中世スコラ学が作りし出した概念のひとつに「停思快(delectatio morosa)」というものがあります。これは、してはならないとされる行為——容易に予想されるかもしれませんが、神学者たちが事例として好んで取り上げたのは不倫的な性行為です——について夢想することから得られる快のことを指したものですが、標準的な回答によれば、そうした夢想から得られる快の罪の程度は、その夢想が対象とする行為から得られる快の罪の程度と等しいとされました(たとえば、トマス『神学大全』第2部第1篇第74問)。
快、さらには夢想から得られる快を裁くということ自体、人類学的な見地からして少なからず興味深いことではありますが、夢想は、そのように裁きの対象として抑圧的に捉えられることをつうじて、逆説的にも独特かつ固有のリアリティを付与されたと考えることもできるように思われます。この点を考えるうえできわめて示唆的な人物として、二〇世紀フランス文学のうちでもきわめつきに奇妙な作家ピエール・クロソウスキーです。神学を学び、若い時期に修道生活を送っていたクロソウスキーは、上述した「停思快」を、かのマルキ・ド・サドの文学的営為を解釈するための鍵として用い、生涯の多くを監獄で過ごしたこの作家にとって、ただひとつ残された自由としての夢想が、創造と現実との奇妙な癒合を可能にしたと論じます。近世の道徳神学における議論の展開も視野に収めつつ、最終的にはこのクロソウスキーの主張を吟味することを目標とし、みなさまからのご意見を仰げれば幸いです。

発表題目 3:近世イングランド国教会における聖ヒエロニムスと主教制の問題

発表者:李東宣(東京大学)

メッセージ:
英国史領域では近年、宗教改革前後の信仰や学問の在り方の連続性が強調されており、それに伴って、これまでローマ・カトリック教会と繋げられてきた教父を宗教改革後のイングランド国教会がどのように受容したかという主題も注目を集めている。本稿では、初期教父の一人、聖ヒエロニムスの手による『テトスへの手紙註釈』と『エヴァグリウスへの手紙』を近世イングランド国教会聖職者がどのように解釈したのかを明らかにする。当該著作は、主教制(=司教制[episcopacy])の存在を否定する初期教父の証言として知られており、カルヴァンなど初期宗教改革者はこれをローマ・カトリックの司教制を攻撃する強力な根拠として用いた。イングランドはプロテスタント国家になったものの、主教制をそのまま維持し、イングランドの長老派は引き続きこれらを用いてイングランド国教会の主教制を批判した。その批判に応える過程で、3つの異なる種類のヒエロニムス解釈が生まれた。
本報告は、これら相異なるヒエロニムス解釈の記述にとどまるのではなく、その解釈の仕方自体が、国教会聖職者の主教制擁護の程度を示す有効な尺度であると提示する。先行研究では、1580年代以降、主教制擁護が単線的に進展・深化するとされているが、膨大な近世の著作からそのような発展史観に当てはまる箇所を恣意的に抜粋しているに過ぎない。対して、本報告は、ヒエロニムス解釈を参照点にすることで、各論者における主教制擁護をより正当に比較できると主張する。

 

この件に関するお問い合わせは下記教父研究会事務局にお願いいたします。

〒153-8902 東京都目黒区駒場3-8-1
東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻・高橋英海
E-mail: secty.jsps[at]gmail.com