第163回教父研究会は、2018年3月3日(土)14時から18時まで、東京大学駒場キャンパス18号館1階メディアラボ1において開かれます。
- 神門しのぶ(清泉女学院短期大学)「アウグスティヌス『教えの手ほどき』研究の魅力」
- メッセージ:従来、教育学領域でアウグスティヌスと言えば『教師論』(389) が読まれることのみ多かったが、この書は人が学ぶ時の認識のしくみを問うているため自己教育の要素が強い。また、人間の教師は何も教えられないという結論も相俟って、『教師論』を主たる考察対象とした場合に見えてくるものは消極的な教育理論である。一方、司教叙階後の著作『教えの手ほどき』(c. 400) は、彼が改宗者に教理を教える務め、すなわち他者教育が論究の素材になっている。ならば、二つの著作を併せて読むことで、アウグスティヌスの教育思想は初めて、〈教える〉と〈学ぶ〉の両側面を含むものとして見えてくるのではないか。そのような着想から拙論『アウグスティヌスの教育の概念』(2013) では、すでに価値観を共有している相手を教えるという、比較的苦労の少ない教師時代を経たのち、まだ価値観を共有できてきない相手を教えるという、より困難な教育活動に携わったアウグスティヌスの歩みに焦点を当てた。発表の前半ではその概要を紹介したい。後半では、発表者がその後『教えの手ほどき』をどのように読み進めているかについて二点報告させていただく。一点目は、この書の7節でアウグスティヌスがキリスト教的愛の概念の卓越性を、当時の一般教養であったところの友愛概念を下敷きにして説く様子を考察した成果の報告である(「P. アドの古代哲学解釈を通して読むアウグスティヌス『教えの手ほどき』」カトリック教育研究第34号、2017年)。二点目はこれから着手する課題の披歴にとどまるが、後続の8節でアウグスティヌスは隣人概念を取り上げることで新約聖書と旧約聖書の関わりを述べようとしているため、この箇所について問いの立て方や検討方法に関する示唆を得られればと思う。
- 林皓一(慶應義塾大学)「4世紀後半ローマ帝国西方における「信条」について-アビラのプリスキリアヌスを手掛かりとして-」
- メッセージ:4世紀の教会は、コンスタンティヌス帝の公認を受け地理的にも社会的にも大きく拡がる一方で、神理解についての共通の基準をめぐり混乱に陥った。アリウスの教説に端を発する激論は三位一体論の教義を確立させていくことになるが、この過程においては数々の教会会議が開かれ、信仰を表明する定式化された文章として「信条」が宣言された。この中でも「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」は最も権威あるものとして以後の時代に受け継がれていく。だがもう一つ、古代に起源を持つものとして「使徒信条」がある。現在、どちらの「信条」もキリスト教の共通の基盤であるが、成立当初の状況はどのようであったのだろうか。
本発表は、4世紀後半ローマ帝国西方における「信条」の状況を示すことを目的とする。具体的には、当時の当該地域において、(1) 「信条」としてどのテキストが知られていたのか、(2) それがどのような場面において用いられていたのか、(3) それはいかなる語により指示されていたのか、を諸史料から提示する。もっとも、網羅的な検討を行うのではなく、代表的な史料と通説的見解を紹介した上で、発表者が研究対象としているアビラのプリスキリアヌス(?-385/6) による証言をそこに加えることになる。異端者であるが故に彼の証言は軽視されてきたが、「信条」に対する彼の証言を分析することは、4世紀後半の西方キリスト教への理解を深めるために有益であると考える。
- メッセージ:4世紀の教会は、コンスタンティヌス帝の公認を受け地理的にも社会的にも大きく拡がる一方で、神理解についての共通の基準をめぐり混乱に陥った。アリウスの教説に端を発する激論は三位一体論の教義を確立させていくことになるが、この過程においては数々の教会会議が開かれ、信仰を表明する定式化された文章として「信条」が宣言された。この中でも「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」は最も権威あるものとして以後の時代に受け継がれていく。だがもう一つ、古代に起源を持つものとして「使徒信条」がある。現在、どちらの「信条」もキリスト教の共通の基盤であるが、成立当初の状況はどのようであったのだろうか。