第187回教父研究会例会 案内

第187回教父研究会は 対面(聖心女子大学)とGoogle Meetを使用したハイブリッド形式での開催を予定しています。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げています。

日時
:2025年12月20日(土)14:00–18:00

会場:聖心女子大学 1号館2階221教室

オンライン・ミーティングに参加するための情報は、メール・手紙にて会員の皆様にお知らせしています。届いていない場合は、お手数ですが事務局までお問い合わせください。

※ URL、ミーティングID、パスコードの第三者への拡散は、くれぐれもご遠慮ください。
※ 参加にあたっては、次の三点を守ってください。
1. 表示名を「氏名」にしてください。
2. 司会者・発表者以外は、音声を「ミュート」にしてください。質疑応答の際に司会者に指名されたときのみ、「オン」にしてください。
3. 質問するときは「手を挙げる」機能を用い、司会者に指名されるのをお待ちください。

非会員の参加も可能となっております。関心のありそうなお知り合いがいらっしゃる場合は、「非会員専用参加受付フォームhttps://forms.gle/g3giMSptoCBYuHsc8」をご案内ください。

例会企画:第一ニカイア公会議1700年記念シンポジウム
時間:14:00–18:00
プログラム
14:00–14:10 趣旨説明(司会:山田庄太郎)
14:10–14:50 発表1 津田 謙治
14:50–15:30 発表2 小坂 俊介
15:30–16:10 発表3 浜田 華練
16:10–16:25 休憩
16:25–16:55 司会・提題者間の質疑応答
16:55–18:00 フロアとの質疑応答

発表題目 1: アレイオスと異端思想および哲学──教理史的位置付けの再考

発表者:津田 謙治(京都大学)

要旨
 本報告では、アレイオス(336年没)思想の特徴の一つと見なされてきた異端思想との類比や哲学的議論を、教理史的観点から捉え直すことを目的とする。アレイオスと彼に与する者たちをアレクサンドリアから追放した当地の主教アレクサンドロス(位312-328)の見解を通じて、古代よりアレイオスは殉教者ルキアノス(312年没)を介した異端的思想家サモサタのパウロス(3世紀)の模倣者と見なされてきた。ルキアノスの著作とその思想が断片的で不明瞭な側面がある一方で、パウロスはアンティオキアで養子論的なモナルキア主義を唱えたとされており、アレクサンドロスにとってアレイオスの一派をパウロスの思想と共に斥けることは正統信仰の保持のために重要な課題の一つであったと考えられる。近代以降になると、リッチュル(1822-1889)学派を中心としたドイツのプロテスタント神学者たち(特にハルナック(1851-1930)など)はアレイオスを通俗的な哲学によってキリスト教信仰を歪めた人物と捉え、このような見解は20世紀半ばくらいまでのアレイオス研究における支配的な潮流の一つであったと言うことができる。その後、アレイオス自身とニカイア以後のアレイオス主義者たちとの思想的区別や、中期プラトン主義などの研究の発展を通じて上述のような理解は捉え直され、特に1980年代以降、彼の思想におけるキリストの受苦性や救済論的側面などに着目する画期的な研究が出現している(R.P.C.ハンソン(1916-1988)など)。そのような研究史的発展の中で、本報告では、近年の異端研究やプラトン主義およびストア主義などの比較研究を手掛かりに、アレイオス思想の教理史的位置付けを再考することを試みたい。

発表題目 2: アルル教会による首位権確立の試みとマルセイユ教会の権威──4–5世紀ガリアの教会会議決議録の分析から──

発表者:小坂 俊介(愛知教育大学)

要旨
 近年の古代末期教会会議史研究における一つの傾向は、決議録・議事録の作成・編纂・伝存過程への注目にある。以前からそれらの史料は、古代末期における聖職位階制の発展や信徒の信仰生活の手がかりとして用いられてきた。他方で近年の研究はそれぞれの決議録・議事録が作成・編纂・伝存された状況に注目し、その都度の歴史的背景を解明するための手がかりとして用いようとしているように見える。本報告はこうした研究動向を意識しつつ、4世紀後半から5世紀のガリアに由来する教会会議決議録を取り上げ、それらが作成された歴史的背景を跡づけてみたい。
 この時期のガリア教会政治の展開において一つの軸となったのは、アルル司教による首位権確立の試みである。アルルは4世紀末、ローマ帝国によってガリアの政治的中心として位置づけられた。それに前後して、アルル司教は属州管区内、さらにはガリア教会全体に首位権を行使すべく行動し始めた。5世紀には特にレラン修道院を結節点とするネットワークの形成、また定期的な教会会議の開催を通じた権威拡大への試みが知られる。さらにその過程でアルル教会は、自らを権威づける材料として決議録を利用し、その集成と編纂を行なったと考えられている。こうしたアルル教会の行動を、1990年代以降のガリア教会史・政治史研究をリードしてきたR. Mathisenの仕事に学びながら跡付けるのが、本報告の一つ目の目標である。
 その上で本報告の二つ目の目標としたいのは、アルル司教にそれらの試みをなさしめた歴史的要因として、4世紀後半ガリア南部におけるマルセイユ司教(教会)の権威を想定することである。そのために本報告は、390年代半ばに開催されたニーム教会会議の決議録を分析する。なかでもカノン第一条に注目し、この会議に集った司教らが、南ガリア教会への東方出身聖職者(修道士)の流入を問題視したことを論じる。そして、マルセイユ教会がそうした東方からの移動者を受け入れる窓口として機能していたことを、マルセイユ司教プロクルスの人脈の提示や、近年の都市史研究の成果に学びつつ論じる。以上のような分析を通して、4世紀後半からのガリア教会政治におけるアルル教会とマルセイユ教会の関係性を描き出してみたい。

発表題目 3: ニカイア会議はいかにして「公会議」となったか:アルメニアの事例

発表者:浜田 華練(東京大学)

要旨
 現在のキリスト教諸宗派にとって、ローマ帝国(ビザンツ帝国)において招集された教会会議のうち、どれを「公会議」として認めるかは、教会の存立の根幹にかかわる問題であるが、「最初の公会議」たるニカイア会議は、全ての宗派において普遍的な正統性と権威が認められている。ゆえに、431年のエフェソス会議以降を承認しない東方教会や、451年のカルケドン会議以降を承認しない非カルケドン派教会においても、今年は「ニカイア公会議」1700周年を記念して数々の集会や行事が執り行われた。しかし、ニカイア会議が特別な権威を有するに至った過程は、それぞれの教会の置かれた政治的・文化的・言語的環境によって異なっている。とりわけ、4世紀時点ではローマ帝国の領域外にあったペルシアやコーカサスのキリスト教共同体では、ニカイア会議の意義は最初から自明ではなく、むしろその後の論争の過程において「ニカイア」の価値が高められていった。本報告は、アルメニア教会を例に、ニカイア会議が「公会議」として権威化していく過程を示す。
4世紀初頭のコーカサスでは、イベリア・アルメニア・(コーカサス)アルバニアの三つの王国が相次いでキリスト教を受容し、教会組織の形成が進んだ。しかし、これらのコーカサスの諸教会がそれぞれの言語で記録を残し始めたのは5世紀以降であるため、コーカサスのキリスト教徒が325年のニカイア会議に関与した記録は断片的にしか残っていない。381年のコンスタンティノポリス会議に先立ってアンティオキアで編纂されたと考えられる「カノン集(Corpus canonum)」に付されたニカイア会議の参加者のリストには、「アリスタケス」という名の大アルメニアからの参加者が記録されている。また、5世紀に書かれたアルメニア語の歴史書では、4世紀初頭にアルメニア国王を改宗させた聖人グリゴル・ルサウォリチ(開明者グレゴリオス、331年頃没)の息子アリスタケス(333年没)が、325年にニカイア会議に参加し、ニカイア会議のカノンをアルメニアに持ち帰ったとされる。これらの史料に記録される「ニカイア会議への参加」という事実は、アルメニア教会が対外的に自身の正統性を主張する根拠として繰り返し強調されてきた。また、8世紀に編纂された「アルメニアのカノン集(Kanonagirkʿ Hayocʿ)」においてニカイア会議のカノンが収録されたことで、教会法においてもニカイア会議の権威が確立された。


この件に関するお問い合わせは下記教父研究会事務局にお願いいたします。

〒150-8938東京都渋谷区広尾4-3-1
聖心女子大学現代教養学部哲学科 山田庄太郎研究室
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