第168回教父研究会は、2019年6月29日(土)16時から18時まで、東京大学駒場キャンパス18号館1階メディアラボ2において開かれます。また例会の前には総会(15時から16時の予定)も開催されます。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。
- 発表者:
砂田恭佑(東京大学) - 発表題目:
体罰否定は教育の放棄か?──ヨアンネス・クリュソストモスの『箴言』13章24節釈義とその背景 - 発表者からのメッセージ:
教父研究における聖書解釈という分野の重要性はつとに指摘されている。ところでヨアンネス・クリュソストモス (347?–407) は浩瀚な聖書釈義講話を残し東方教会でもひろく崇敬されている教父の一人だが、20世紀の研究潮流のなかでは独自の思想を持たない説教師としてしばしば看過されてきた。これに対し、彼の著作のうち、2003年に初めて校訂本が上梓された『箴言註解』の一節は注目すべき要素をいくつか含んでいる。「杖を控える者は自身の子を憎む。しかし〔子を〕愛する者は注意深く懲らしめる」という13章24節の句は、『箴言』特有の「体罰奨励章句」の一つであり、教育思想史の観点からも論じられているものだが、クリュソストモスはこの聖書本文は《体罰を奨励していない》という見解を示す。これは当節を教育上必要な体罰の許可として、あるいは救済論的寓意として、あるいは修道規則の根拠として解する同時代人の理解とは際立って異なるものであった。本発表ではこの点に注目し、クリュソストモスによる聖書解釈の手続きとその思想的背景を分析することを試みた。これにより導き出される結論は以下の通りである。
1. 当節理解における手続きは「単純にではなく」というキーワードを含む「アンティオキア的」釈義法(≠字義的、歴史的)を活用したものである。
2. その体罰反対論は短絡的・事なかれ主義的なものではなく、むしろクリュソストモス自身の人間観「家庭教育」観と調和する形で生の指針としての聖書典拠を基礎づけようとしたものである。
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東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻
高橋英海(takahashi[at]ask.c.u-tokyo.ac.jp)