第167回教父研究会のご案内

第167回教父研究会は、2019年3月16日(土)14時から17時30分まで、立教大学太刀川記念館三階カンファレンスルームにおいて開かれます。
 涙をテーマとした若手研究者によるミニシンポジウム「東西キリスト教思想における涙の位置づけ」となる予定です。

  1. 発表者(発表順)
    • 坂田奈々絵(清泉女子大学)
    • 袴田玲(岡山大学)
    • 松村康平(東京大学)
  2. 概要説明:
    • 本ミニシンポジウムは「涙」を主軸とし、教父思想から近世に至る涙の扱いを明らかにすることで、キリスト教思想における身体―精神の接続についてなんらかの考察を加えることを目的とする。
       「涙」は主に修道者らの実践において重要な位置づけが与えられてきた。そもそもは砂漠の師父たち、特にポイメンらによって涙を積極的に流すことが奨励され、その後もエヴァグリオスやクリマコス、涙のシメオンとも呼ばれる新神学者シメオンによって神学的意味付けが与えられた。またシオランが「中世は涙で飽和している」と書いたように、涙は東方キリスト教に限らず、西洋中近世にあっても重要視された。そこで考察の対象とするのが、このような涙を流すという実践にはどのような思想的背景があるのか、あるいは涙を流すということの意味付けはいかなるものかという点である。しばしば涙は神からの賜物、聖霊の働きの目に見える象徴として考えられ、ときには涙を流すということの形式的強調のあまり、落涙そのものが優先されることすらあった。では果たして、涙とは一体なんなのだろうか。特に修道制において目的とされる人間の神化ないし救いに際して、この涙はどのような位置付けにあるものなのだろうか。
       そこでまず坂田は東西修道制における涙の比較という観点から、カッシアヌスの『霊的談話集』に注目する。カッシアヌスはエヴァグリオスに師事し東方教父からの強い影響を受け、様々な議論の対象になりつつも、その著作はベネディクトゥスの『戒律』にも多大な影響を与えた。この意味で、東方における修道的実践を西方に伝達した人物として位置づけることができるだろう。特に本発表ではカッシアヌスの『霊的談話集』を基にし、その実践の目的とそこにおける涙の位置づけを中心に考察を行う。
       次に袴田は、新神学者シメオンやグレゴリオス・パラマスのテクストを中心に、ビザンツ帝国時代中期から後期にかけてのヘシュカスムにおける涙の捉えられ方について分析する。このことは、涙、熱、光、甘さなど、祈りの中で生じる霊的=身体的経験についてのヘシュカストたちの理解を明らかにし、また、その際に彼らが大いに依拠する大(擬)マカリオスらシリアの伝統が当時のヘシュカスムの思想においていかに受容・継承・変容しているかという点について考察することにもなるだろう。
       松村は、西洋近世キリスト教思想における涙という観点から、イグナチオ・デ・ロヨラの涙の体験について触れたい。イグナチオの『霊的日記』は涙の記録ともいうべきもので、そこには日々彼が流した涙とともにその神秘体験に関する記述が残され、神との一致のプロセスが描写されている。本発表では、イグナチオの涙とその特徴的な知覚的表現とを追うことで、彼の神との一致の体験の特徴について考察する。
       以上の発表を踏まえ、コメンテーターとの対話の後、会場にお越しの皆様とも意見交換を行い、涙に関する多角的考察を可能とする視点を得ることができたら幸いである。
    • コメンテーター:鶴岡賀雄(南山大学)

この件に関するお問い合わせは下記教父研究会事務局にお願いいたします。

〒153-8902 東京都目黒区駒場3-8-1
東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻 
高橋英海(takahashi[at]ask.c.u-tokyo.ac.jp)

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